適疎で豊かな暮らしを実現するまち「北海道東川町」

〜人口がゆるやかに増え続ける「写真の町」〜

2024年12月26日 / 『CRI』2025年1月号掲載

変わるまち・未来に続くまち

目次
  1. 3つの道がない町
  2. 写真の町
  3. 木工家具の町
  4. 教育・子育て環境
  5. 定住人口の増加とまちの賑わい
  6. 東川町・菊地伸町長に聞く ~東川の今とこれから~
  7. あとがき

北海道のほぼ中央、大雪山のふもとに広がる美しい自然景観と豊かな森林資源のまち・東川町。
1985年に「写真の町」を宣言し、写真のみならず多様な文化と人の交流による地域の活性化という取り組みにより、独自のまちづくりを進めている。北海道で唯一の上水道のない町で暮らす人たちは、大雪山の大自然が蓄えた天然水を生活水として利用し、水の良さを生かした「東川米」や、公設民営酒蔵「三千櫻酒造」の日本酒、優れたデザインの木工家具づくりなど、町の産業のブランド化も進んでいる。
児童数が400名を超える東川小学校、公立の日本語学校による多文化共生・海外交流という教育・子育て環境や、移住施策も充実している東川町では、この30年間で人口が約2割増加した。
今回は、「過疎でも過密でもなく、疎であることを生かした適疎な町づくり」を進める「東川町」の魅力についてレポートする。

北海道東川町は、中核都市である旭川市と隣接している人口約8,600人の町である。旭川市の中心部から車で30分、旭川空港から車で10分の距離であり、東京からも約2時間でアクセスすることができる。町の東部は山岳地帯で、北海道の最高峰である大雪山連峰旭岳(標高2,291m)も町域に存在している。豊富な森林資源と優れた自然環境、新緑・高山植物・紅葉・パウダースノーなど四季の変化に富んだ美しい景色という特徴を持ちながら、都市部にもアクセスしやすい利便性を併せ持つ町である。

3つの道がない町

東川町には、鉄道、国道、上水道の3つの「道」がない。かつては旭川と東川を結ぶ鉄道が存在していたが、半世紀前に廃止となり(注)、国道も町内には存在しない。3つ目の道である上水道がないのは、全戸が地下水で生活しているからであり、深さ20m以上を推奨するボーリング標準図を町が作成し、町民が衛生的で安全な生活用水を確保できるようにしている。大雪山の自然が創り出す豊かな水資源は、町民の生活とともに、東川産の米や野菜、豆腐・味噌などの加工品、飲食店にも恩恵をもたらしている。2020年には、全国でも珍しい公設民営酒蔵が誕生し、公募で名乗りを上げた三千櫻酒造と町により、米と水がおいしい東川町の新たなブランドとなる日本酒づくりがスタートした。

(注)旭川電気軌道東川線。1972年に廃止された。今はバス会社の名称として残り、旭川と東川を結ぶ道道1160号線の脇には、かつての線路敷の面影が残っている。

写真の町

東川町は1985年に「写真の町」を宣言し、「東川町国際写真フェスティバル」や「写真甲子園」をはじめとするイベントを開催して、写真写りの良いまちづくりを進めてきた。2002年には「美しい東川の風景を守り育てる条例」を制定し、2005年には北海道内で初めて景観法に基づく景観行政団体となるなど、景観を大切にしたまちづくりを推進している。東川町土地開発公社が分譲したグリーンヴィレッジやノースヴィレッジなどの住宅地では、「東川風住宅設計指針」に基づき美しい街並みを実現するための建築緑化協定(景観協定)があり、道路境界線から[文字列の折り返しの区切り]2m幅のグリーンゾーンを設けることや、建物の屋根の形、オイルタンクの隠し方などの細かなルールが定められている。2014年には、写真文化首都を宣言し、「高校生国際交流写真フェスティバル」等の新たな事業も進められている。

木工家具の町

東川町は、北海道の良質な木材を使用し、優れたデザインで知られる「旭川家具」の3割を製作している生産地であり、幅広い[文字列の折り返しの区切り]世代の家具職人が活躍している。メインストリートの店先の木彫りの看板や、町内の公共施設のテーブルや椅子など、至るところに木工に触れる環境がある。東川町で生まれる子どもたちに椅子を贈る「君の椅子」プロジェクトでは、町内の工房で手づくりされた椅子を、名前や生年月日を刻印してプレゼントしており、町に生まれてきた一人ひとりの子どもを大切にする施策として続けられている。2021年4月14日を「(良い)椅子の日」として制定・宣言したことを契機に、建築家・隈研吾氏との連携を推進し、隈研吾建築都市設計事務所を含めた4棟のシェアオフィス「KAGUの家」が建てられたほか、「隈研吾&東川町」KAGUデザインコンペがスタート。デザインミュージアム構想も進んでいる。

教育・子育て環境

東川町の中心部には、2014年に完成した東川小学校がある。隣接する公園を含めて20haという学校敷地の中に、廊下の長さが270mの平屋建てでオープン教室の校舎のほか、人工芝サッカー場、天然芝野球場、体験水田、体験農園、果樹園等があり、北海道ならではの広々とした環境の中で子どもたちが学んでいる。また、2015年に創立した国内唯一の公立の日本語学校「東川町立東川日本語学校」では、400名を超える海外からの留学生・研修生が町内に滞在し学んでおり、町民との交流も進んでいる。国や地域等を超えた多様な交流が相互理解や融和を促進し、多文化共生社会の形成につながっている。

定住人口の増加とまちの賑わい

東川町では、このような様々な取り組みで町の魅力を高めることによって、町民に豊かな暮らしを提供するとともに、町外からも東川町を応援する東川ファンを増やしている。計画的な宅地造成と、移住相談ツアーや移住体験などの移住・定住施策、町立東川日本語学校による外国人留学生の受け入れも相まって、東川町の人口は1995年以降、ゆるやかに増え続けており、1993~2023年の30年間の人口増加率は21.4%となった。
町内には、おしゃれなカフェやベーカリー、道外からも客が訪れるレストラン、家具のクラフトショップなど、移住者が経営するお店も数多く点在し、それによって町の魅力がさらに高まるという好循環を生み出している。

注:人口は各年末(2024年のみ11月末)時点。東川町資料をもとに長谷工総合研究所作成。注:人口は各年末(2024年のみ11月末)時点。東川町資料をもとに長谷工総合研究所作成。

東川町・菊地伸町長に聞く ~東川の今とこれから~

市町村合併が争点となった2003年の選挙で松岡市郎前町長が当選・就任してから、東川町の持っているポテンシャルを生かして、自立して町が発展するのであれば何でもやろう、という雰囲気が生まれた。町職員や町長が次々と施策を発案し、いろんな取り組みが進んでいった。
「写真の町」という文化を基本にして、町の魅力向上やイベントの取り組みをしてきた。その結果がようやく今、定着して、まちづくりの成果が確信に変わった。景観の話も、写真の町として景観を守って育てなければいけないという考え方から、景観条例を定めてやってきた。
こんな町見たことないと言われる。それをトップと職員が一体となって作り上げていった。また、企業や大学教授など、外部のいろんな方々とどう結びつくかを大事にしてきた。外の人からいろんなアイデアを取り込んで、政策に生かしていった。
移住政策をしたからといって移住者は簡単に増えない。それよりも、住みやすい、豊かな生活ができる町というのは何だろうと、町民の皆様と相談しながら施策を進めていった。文化の薫りあふれる、いろんな雰囲気に包まれた、心豊かな生活ができる、というのが東川町の一番の魅力。それが評価されて移住したい気持ちになるのだと思う。
町としては、人口維持が基本的な考え方。今の環境を守りながら、適疎の考え方でバランスの良い宅地造成のあり方を考え、ストックを次の世代に循環させていく。
レンガ倉庫を生かしたデザインミュージアムの整備など、さらなる魅力づくりも計画しているが、観光地にするのではなく、東川町に魅力を感じて訪れてくれる方を増やし、そこで町民と訪問者が交流することでつながり合う「交流地」にするのがうちらしい。

あとがき

地方都市の多くが人口減少・流出の加速と地域の衰退という課題に直面している中で、独自のまちづくりの施策により人口が増え続けている東川町は、特異な事例と言える。
地方への移住や二地域居住に関心がある人は少なくないが、住まいや仕事、買い物や公共交通等の利便性、地域コミュニティなど、実現には多くの懸念や課題が存在する。
それでも、長年にわたって町の魅力を高め、新たな暮らし方や働き方を提案・実現してきた東川町の取り組みは、大都市と地方との交流を促進し、持続可能な地域づくりの先導的な事例と言えるだろう。
適疎で豊かなまちづくりを進める東川町の動向をこれからも注目していきたい。(青木伊知郎)