BIG PROJECT

巨大スマートコミュニティを創造せよ。

兵庫県尼崎市・JR「塚口」駅前の『プラウドシティ塚口』。
8.4haという広大な敷地にマンションをはじめ、戸建て住宅、大型商業施設、駅前ロータリーが建ち並ぶその姿は「一つの街」そのものです。
この巨大プロジェクトにマンション開発のプロが挑みました。
めざすはスマートコミュニティという次世代の街づくり。
多くの困難がたちはだかる中、いかに彼らはプロジェクトに臨んだのでしょうか。

THE AUTHENTIC

総開発面積約8.4haの大規模再開発。工場跡地が劇的に大変身。 関西最大級JR「塚口」駅前再開発事業。マンション・戸建て・商業施設・大型公園など一体開発プロジェクト。

プラウドシティ塚口

事業主 野村不動産
JR西日本不動産開発
長谷工コーポレーション
設計 長谷工コーポレーション
施工 長谷工コーポレーション
所在地 兵庫県尼崎市上坂部
交通 JR宝塚線「塚口」駅 徒歩2分

A街区「マークフロント」

構造/規模 RC造/地上15階
総戸数 247戸
竣工 2016年3月

B街区「マークフォレスト」

構造/規模 RC造/地上15階
総戸数 587戸
竣工 2017年3月

C街区「マークスカイ」

構造/規模 RC造/地上15階
総戸数 366戸
竣工 2018年2月

Chapter 1

社運がかかった大プロジェクト。

不動産営業

長谷工コーポレーション
関西営業部門 第一事業部不動産1部

100か0の勝負。

プロジェクトは2012年、大手菓子メーカーの工場閉鎖に伴う土地売却の情報を長谷工コーポレーションが入手したことから始まりました。それを受けて第一次、第二次入札に応札、その入札に関わることになりましたが、一番苦労したのは入札までの準備でした。
入札で勝ち取れば100ですが、取れないならゼロ。第一次入札時には数十社が応札しました。社運がかかっていると言っても過言ではないプロジェクトなので、社内からの注目も要求も高く、相当なプレッシャーを感じていました。そこで応札する他社競合情報を把握し、長谷工が勝てるシナリオづくりを行いました。条例など法律面での確認、諸コストの算出など土地を把握し、売主からの想定問答の対策など抜かりないよう行いました。

尼崎市の理念を現実化。

我々不動産部のメンバーの入念な準備と対策が功を奏して、見事に第一優先交渉権を獲得、その決め手はプランでした。
尼崎市は『環境に優しい暮らし・ECO未来都市 尼崎』を理念として掲げており、長谷工としてその理念に基づいたプランを提案しました。エネルギー、防災、緑化、地域活性化を柱に“環境にやさしく、便利で快適な機能を備えた街を創造する“をコンセプトにして策定しました。プレゼン前に尼崎市と何度も協議を重ね、プランを練り上げた甲斐がありました。

日本地図を変える仕事。

土地を取得後、プロジェクトの各事業主との契約業務を行い、プロジェクトは本格的にスタートしました。今振り返って考えてみても、今後経験できるかどうかわからないほどのビッグプロジェクトでした。
土地売却や入札の経緯は新聞にも載ったこともあって、取り引き先や家族、友人からも注目されていました。数えきれない苦労がありましたが、今は本当に街を一つつくり上げ、大げさかもしれませんが日本地図を変える夢のある仕事をやり遂げたと感じています。この経験はその後の長谷工人生にもとても活かされています。

Chapter 2

難局も乗り越え、コミュニティを形に。

受注営業

長谷工コーポレーション
関西営業部門第一事業部 営業1部

電力の見える化を提案。

『プラウドシティ塚口』のコンセプトであるスマートコミュニティ。それをスキーム化するのが私に課せられた使命でした。各事業主をはじめ一括受電業者、システムインテグレータ、ガス会社、電力会社など関係事業者のとりまとめを行い、2年かけてスキームをつくり上げました。
その中でポイントとなったのが、街全体の電力使用量の削減とCO₂排出量の削減です。敷地内のマンション、駅ビル、戸建、商業施設と連携し、共用部に設置したデジタルサイネージと各住戸に設置した光ボックスを使って、パソコンなどで電力消費が見られる〈電力の見える化〉を可能にしました。
また、夏・冬の電力使用のピーク時に地元の商業施設や駅ビルで買物すると、通常時の2倍の地域通貨ポイント「ZUTTO・ECOまいポ」が付与される仕組みも構築。その他にはスマートフォンによる家電制御、太陽光発電、コージェネレーションシステムも採用しました。

資材コストの上昇に悩む。

このプロジェクトは土地の取得から最終工区の竣工まで約5年という長丁場でした。私は営業として、開発日程遵守はもちろんのこと、工事費の確定とスムーズな着工を導かなければなりません。そんな中で起きた労務資材価格の上昇への対応には苦労しました。
資材価格の上昇が続くなか、事業主との建築費の交渉は非常に難航しました。A~C街区の着工の際もそのことが工事費を決める上で焦点となりました。
私は事業主との協議を粘り強く続けました。そして、総戸数を当初の計画であった955戸から1,200戸まで増やすことで無事に着工することができました。行政側の要望でもありましたが、関係各部の尽力の賜物であったと言えます。

事業主の思いに応えた。

当初から、私はこれだけの規模の案件を担当する以上、良い商品をつくり、長谷工、事業主、購入するお客様にとって利益あるものにしたいと強く思っていました。事前に東京の大規模マンション視察をした時、同行した事業主からは誰もやったことのないものをつくりたいという強い思いを感じていました。
事業を推進していく中で、事業主から実現が難しい提案もありましたが、実現レベルまできちんと検討し、設計に反映することで期待に応えることができました。そんな関係者の思いの蓄積が魅力ある街づくりの実現につながったと感じています。実際、マンション3街区(A~C街区)の販売は好調で、本当にみんなにとって良い結果になったと思います。

Chapter 3

多岐に渡る協議、いかに開発を実現するか。

開発推進

長谷工コーポレーション
関西開発推進部門 開発推進1部

マンション開発とは大きく違う。

この駅前大規模再開発の規模は約8.4ha、通常のマンション建設とは異なり、新たな道路や信号、駅前ロータリーなどインフラまで作らなければなりません。そのためには役所や警察など行政との協議や関係各所との調整が不可欠です。私の主な仕事は、こうした開発行為の申請でした。
公共施設の整備が多いこともあって、行政や関係者との調整を頻繁に行いました。協議がまとまらなければ開発に遅れが生じます。絶対に日程が遅延することがないよう日程管理には腐心しました。
行政側と事業主との間で要求や主張の違いがあった時は、厳しい日程の中、行政指導内容を反映し、かつ事業者として納得できるプランを作るため、事業主や社内関連部署と連携を取りながら協議を進めました。大規模開発ゆえに関係者がとても多く、足並みをそろえて促進させるのはひと苦労でした。

毎日のように行政と協議。

これだけの大規模プロジェクトに巡り合うチャンスはなかなかありません。だから、何としてもやるしかないという気持ちで無我夢中になって取り組みました。
たくさんの苦労がありましたが、一番難航したのが交通解析でした。竣工が段階的であったこともあり、開発区域内で入居者や商業施設利用者の一般車両と工事車両が混在する期間の発生が予想されました。行政側は危険性を指摘し、交通解析を行って安全性を証明するよう要求しました。
すでに確定している道路形状でも安全で渋滞しないことを説明するため毎日のように行政と協議をしました。私に交通解析の知識がなかったため、とても苦労しましたが上席の協力を仰ぎながら何とか混在を認めてもらいました。

みんなで大きなものを作る面白さ。

JR塚口駅の駅前ロータリーに案内地図の看板があるのですが、その地図のデザインや看板の内容も私が担当しました。慣れない仕事で試行錯誤の連続でした。今でも駅を降りて看板を見るたびにその時のことを思い出します。
プロジェクトの完成まで約5年かかりましたが、常に問題が発生し、それを解決していくことの連続でした。多くの協議を経験して、技術の知識も増えましたし、調整能力もつき、良い意味で図太くなりました。このプロジェクトからは、みんなで大きなものをつくり上げる面白さを教えてもらったと感じています。

Chapter 4

“経年優化な街”をデザイン。

意匠設計

長谷工コーポレーション
大阪エンジニアリング事業部 第3設計室

ずっと住みたくなる街に。

設計を進めていく上で、関係者と長期間にわたる毎週の打ち合わせをしました。20~30人もの関係者が集まってブレインストーミングを行い、「どんな街にしたいか?」を議論して、イメージの共有やコンセプトのブラッシュアップをしながら、方向性を合わせていきました。配棟計画やランドプランは実に51案にもおよびました。
その過程から生まれたのが、ずっと住みたくなる街というイメージです。利便性の高い駅前立地で約8.4haもの広さ。その希少な場所を子どもからご高齢の方まで、誰もがいつまでも暮らしやすい、緑あふれる森を中心とした“森と暮らす歓びを、ずっと住みたくなる街”をコンセプトに掲げました。

敷地の中心に大きな森を作る。

ずっと住みたくなる街のキーワードは“経年優化“。時が経つにつれて街が美しく、生活する人々にとって愛着のあるものへ変化していくという思いを込めました。その象徴的な空間が〈みんなの森〉です。そこはB街区の〈マークフォレスト〉の各棟に囲まれており、サッカーグラウンド一面分の広さを持つ居住者専用の緑地です。
敷地の中心にあり、みんなが集まれる約8,000㎡もの大きな森をイメージしました。住まう方々が森に集い、交流を図ることのできるよう中庭をデザインしました。さらには、街で開催される様々なイベントにも対応できるよう、共用棟前には階段状の広場を設け、その広場の先には緩やかな起伏のある芝生広場を配置し、多くの人々が中庭に集うことのできる空間をめざしました。

街並みに欠かせないデザインコードに苦労。

私が設計で特に注力したのが街の新たな景観づくりです。その中でも苦労したのがデザインコードの策定です。他の街区とのデザインコードの統一、色調の調整、1,200戸のマンションの統一感の創出、シンボルロードの計画等、いずれも魅力的な景観に欠かせない重要なものです。
当初は何をポイントにデザインコードを決定すればいいのか全く分からず、毎日のように悩みました。そんな中、関係者との対話の中で得た言葉と自分の思い描くイメージとを何度も図面やパース等でシミュレーションを重ねたことで、納得のいくプランを練り上げることができました。

Chapter 5

“大きな仕事を緊張感をもってやり遂げる。

施工

長谷工コーポレーション
関西建設部門 第一施工統括部

同じ方向を向かせることが重要。

施工の業務自体は物件の規模によって変わるわけではありません。しかし、これだけのスケールを持つ物件は初めて。私は現場所長として次席3人と分担して取り組みました。
とにかく、すべてに関して物量が多いし、施工管理スタッフ、作業員の数も格段に違う。全員が同じ方向性をもって進めていかなければ、事を成し遂げることができないと感じました。業務の内容に規模の大小は関係ありませんが、まずはどこから手をつけてどう仕上げてどう終えていくか、その方向性を周知していくことが大変であり重要でした。

全員の意識を向上させる。

施工現場はJRと阪急の線路に囲まれています。ですから、工事の様子は常に街区の住民や電車の乗客に見られているという意識を忘れずに、気を引きしめて臨みました。
中でも、もっとも気をつけたのが品質チェックです。事業主が特に品質要求に厳しかったので、まずは所員全員の意識向上に努めました。事業主も常駐して、ほぼ毎日検査があったのでその対応には苦労しましたが、ひとつひとつ目で見て確認しました。いつもやっていることをきちんとやることの大切さを感じました。

過去の失敗を改善に活かす。

細心の注意を払いながら取り組みましたが、トラブルが起こることもあり、緊張の日々でした。決して平坦な道のりではありませんでした。それでも、私にとって超大型プロジェクトの施工に携われたことは人生の中で大きな経験となりました。
業務については入社以来同じことを行っているので、その繰り返しだったと思います。この現場に限らず過去の失敗から改善案を考え、次はこうしようという向上心を持ち続けたおかげで、巨大なプロジェクトであってもやり遂げることができたと思います。

Chapter 6

“「また一緒に」と言われるほどの成果を上げる。

販売

長谷工アーベスト
受託販売部門 販売一部

自社の強みを連携に活かす。

この物件の販売は大手事業主3社と連携して行いました。その際、私からは長谷工アーベストだからこその強みを事業主に伝え、販売がスムーズに運ぶよう取り組みました。具体的には長谷工コーポレーションのマンションのつくり方や、様々な事業主のマンションを販売している長谷工アーベストが培ってきたノウハウ等、役立つ情報を進言しました。
その上でもともとあった『プラウド』の強いブランド力と、コミュニティとしての機能の充実、そして立地などの希少性を強く訴求しました。それが功を奏して『プラウドシティ塚口』の販売は好調でした。

利便性や立地環境。そして希少性。

ショールームでの接客時やプロモーションで強調したアピールポイントは、JR塚口駅前に一つの街ができるという点です。具体的には駅直結や商業施設との隣接など利便性や立地環境の良さ、1,200戸のマンションと戸建住宅が建ち並び、広大な大手菓子メーカー工場跡地が生まれ変わるということを強く打ち出し、駅前の再開発という希少性と共に強調しました。

人気の街に住まうという喜び。

『プラウドシティ塚口』の販売は関西圏で最も進捗が良く、人気物件となりました。一番私の印象に残っているのが、内覧会時に実際に物件を見るお客さまの笑顔です。さらにマンションを購入したお客さまからは人気の街に住むことができるという高揚感をよく感じました。
そんなお客さまの喜ぶ顔を見るのはうれしいものですが、第一期完売時に当社の担当個数以上の販売を進捗させた際に、事業主のリーダーの方からまた同じメンバーで販売したいと言っていただいた時は、仕事が評価されたという思いもあって本当にうれしかったです。

※掲載の部署名は当時のものです。