国土交通省の「令和5年度マンション総合調査結果」によると、マンションで発生するトラブルの中で最も多いのが「生活音」に関するもの。多数のマンション管理会社の顧問として活躍する弁護士・香川希理先生に、騒音問題を中心としたマンションで発生するトラブルの実態と解決法について聞きました。
マンショントラブルの4割が生活音による騒音問題
——香川先生は弁護士とマンション管理士の2つの資格をお持ちで、マンショントラブルの専門家ですね。どうしてマンションに関することに特化されたのでしょうか。
香川:元々、私が最初に入った法律事務所が大手のマンション管理会社の顧問をしていた関係で、必然的にマンション管理に携わることになりました。独立後も元事務所の仕事を手伝うなどしていたので、元事務所の先生ご了承の下、私も大手マンション管理会社の顧問弁護士になりました。評判を聞きつけた他の管理会社からも次々と依頼が来るようになって今に至る感じですね。
▲香川希理(かがわ・きり)。弁護士。2013年に香川総合法律事務所を設立。マンション管理士、管理業務主任者の資格を保有する。国土交通省「管理業務主任者試験」委員、同「外部専門家等の活用のあり方に関するワーキンググループ」委員などを歴任。マンション管理案件に特に強みを持つ。
——現在はどれくらいのマンション関連の相談があるのでしょうか?
香川:弊所が顧問を務めている多数のマンション管理会社が扱っている相談件数を合計すると、細かいものも入れると毎月150件以上の相談が来ています。
——毎月150件以上とは驚きです。マンション内トラブルに関する相談で、特に目立つものはありますか?
香川:管理会社、管理組合からの法律相談は多岐にわたりますが、マンション内トラブルの発生割合としては、やはり騒音問題が多いですね。国交省の調査結果にもありますが、「居住者間の行為、マナーをめぐるもの」が60.5%と最も多く、その中でも「生活音」が43.6%を占めています。具体的には上下階の足音や、子どもの声、ペットの鳴き声などです。
管理組合が介入できるかできないかの境目とは?
——やはり騒音問題が多いのですね。管理会社や管理組合にとっても悩ましい問題ですね。
香川:そうですが、管理組合としては難しい立場にあります。というのも、マンションに関する法律、区分所有法で管理組合の目的について共用部分の管理と定められているため、専有部分内の問題には原則として関与できないんです。つまり、騒音問題などは、当事者同士で解決するよう促すことになります。
▲管理組合は専有部分の問題には原則として関与できないため、騒音問題はこじれやすい
——「管理組合、管理会社は何もしてくれない」と嘆く声を耳にすることがありますが、法律で管理組合の対応できる範囲が決まっているんですね。
香川:管理会社さん向けの研修、勉強会でも、このことを最初にお話しします。管理会社さんは身近な相談窓口として入居者の悩みはなんでも受け止めたいはずですが、対応できる範囲は限定的で、現場の方も苦労されています。組合や管理会社は中立の立場で話し合いを設定することはできますが、そこでも原則は当事者同士で解決してもらうしかありません。
ただし、複数の住戸から同じ部屋についての苦情が出ている場合は別です。これはもはや個別の問題ではなく、共同の利益に関わる問題とみなす余地がありますので、管理組合が介入することができます。
——騒音問題は解決が難しいと言われますが、どんなところに難しさがあるのでしょう。
香川:まず、音は人それぞれ感じ方が違うので、誰が正しいかはっきりさせることが困難です。例えば、騒音被害を訴える人がいる場合、周囲が対応を試みても、実際にはその人が音に過敏で、一般的には知覚できない音まで聞こえてしまうケースがあります。そうなると、今度は加害者とされた側から「そんな音は出していない」といった反論が出てくることもあります。
過去には騒音の苦情を言いに来た相手の様子を写したインターホン録画を見てみると、包丁を持ち出していたというケースもありました。これはもう騒音問題どころか、犯罪に繋がりかねない深刻な事態です。そこまで事態が深刻になっているので、調べてみると、苦情を言われた人は騒音があったとされる時間に家にいなかったことが分かりました。つまり、騒音を訴えていた人の側に何か問題があった可能性が高かったんです。
実際に騒音があっても発生源を特定できないこともしばしばです。上の階だと思ったら、斜め上の階の音だった。隣の部屋だと思ったら、共用部分にある設備の音だったなどは本当によくあります。こんなふうに、騒音問題には複雑な事情が絡むことが少なくありません。簡単には解決できない難しい問題です。
立証と解決の難しさが、法的解決の「壁」
——管理組合や管理会社の介入も限定的となると当事者同士で解決する必要があります。その際に目安となるような、法的基準はあるんでしょうか?
香川:明確な基準を示すのは難しいです。音の感じ方は個人差が大きいですし、状況によっても変わってきます。また、年齢によっても聞こえ方が変わることがあります。高齢者と若者では音の許容範囲はかなり違います。
さらに、当該マンションの立地が、閑静な住宅街にあるのか、商業地域にあるのかなども許容される生活音の基準に影響してきます。
裁判例を見ると、例えば、一定の基準を超えている場合は「午後9時から翌日午前7時までの時間帯は●●デシベル、午前7時から同日午後9時までの時間帯は▲▲デシベルを超える騒音を発生させてはならない」といったことを義務づける判決が出ることがあります。
しかし、難しいのは、騒音が一定の基準を超えたからといって即座に法的措置が取れるわけではないこと。騒音の存在、原因、そして受忍限度を超えていることを立証する必要があります。これが非常に難しいです。
さらに、仮に裁判をして勝訴したとしても、判決の実効性を確保するのも容易ではありません。例えば、騒音に対して「1回あたりいくら支払え」という間接強制を行うにしても、その違反を立証しなければならず、これもまた大変な作業になります。
▲(左から)マンション管理法律相談201問(香川希理著・編集、他=日本加除出版)、トラブル事例でわかる マンション管理の法律実務(香川希理著、学陽書房)
——お話を聞いていると、騒音問題では音の特定や証明がポイントになりそうです。実際の現場ではどのような対応が多いのでしょうか。
香川:実務上、私が相談を受けた管理会社が最も多く行っている対応は、アンケート、ヒアリング、張り紙などでの注意喚起の繰り返しです。なぜかというと、調査しても結局音源が特定できないケースが多いからです。
やはり、部屋の中に立ち入ることができないのが大きな障害です。さらに、音は常に発生しているわけではなく、出たり出なかったりするので、タイミングを合わせて見回ることも難しい。結局のところ音源を特定できないんです。
管理会社や管理組合の方々も、できる限りの対応はしているのですが、根本的な解決には至らないことが多いのが現状です。
意外と知らない!「調停」はマンショントラブルの力強い味方
——ネットには「騒音でこじれてしまったら引っ越したほうが早い」といった意見もありますが、あながち極論とも言いきれませんね……。それでは今、騒音トラブルで悩んでいる人はどうすべきでしょうか。
香川:騒音トラブルの解決は本当に難しいのですが、あまりに酷い場合には、管理組合、管理会社、弁護士などに相談することを検討してもよいかもしれません。ただし、すぐに裁判を起こすことはお勧めしません。立証は難しく、費用もかかります。
また、冷静に状況を把握することが大切です。感情的になると解決が難しくなります。次に、可能であれば騒音の記録を取ってください。日時、継続時間、どんな音かなどを具体的に記録します。スマートフォンのアプリなどで騒音レベルを測定するのも良いでしょう。そして、専有部分間の騒音トラブルであれば、まずは当事者同士で冷静、穏当に話し合いをしてみてください。相手も気づいていない可能性があります。ただし、当事者同士で話し合うと感情的になることも多いので、あくまで冷静、穏当に話し合うことが重要です。
それでも解決しない場合は、管理組合や管理会社に相談してみてもよいかもしれません。しかし、先ほど説明したように、管理組合や管理会社が直接介入できるケースは限定的です。ただ、あまりにも騒音が酷い場合には、他にも同じ騒音で困っている人がいることが判明するかもしれません。そうなれば組合なども動きやすくなります。
——裁判所も含めた公的機関に介入してもらうことはできますか。
香川:裁判ではなく調停という制度の利用をお勧めします。調停は比較的安価で、裁判所の専門家が間に入って話し合いの場を設けてくれます。手数料は数万円程度で、弁護士に依頼して裁判する場合に比べてはるかに安価です。
また、調停は裁判官や弁護士が担当することが多いので、専門的な観点からアドバイスを受けられます。個人間の話し合いよりも公的なものになるので、相手方も真剣に対応してくれる可能性が高いです。国が用意している制度なので、積極的に活用しましょう。
騒音問題だけじゃない。多様化するトラブルに備えて
——騒音以外にも多くのトラブルがありますね。特に「ペット飼育」はトラブル全体の14.2%を占めます。
香川:体感ではペットに関するトラブルも増加していますね。犬猫の鳴き声はもちろんですが、たくさんのペットを飼っていて、臭いが酷いといった相談もあります。
実際に15匹もの猫を飼っていた人がいて、その臭いや鳴き声が大きな問題になった裁判例がありました。その裁判例では、状況があまりにもひどかったので、区分所有法59条が適用されました。
この法律は、マンションの一室を強制的に売らせることができる厳しい対応を認めています。つまり、他の住人の生活に深刻な悪影響を与えている場合、裁判所の判断で、問題のある部屋を売却させることができるんです。もちろん、これは本当に最後の手段で、めったに使われることはありませんが、こういうこともできると知っておいて損はありませんね。
——マンションでの生活には、ペットの問題や高齢者への対応など、新しい課題が次々と出てきています。簡単には解決できない難しい問題ばかりですが、住民みんなで話し合って、少しずつ解決策を見つけていくしかなさそうです。
香川:マンション生活では、様々な背景を持つ人々が同じ建物で暮らしています。それぞれの生活スタイルや価値観が異なるのは当然です。だからこそ、お互いを理解し、尊重し合うことが大切です。
マンション管理に10年以上携わってきましたが、マンションにおけるトラブルは増加傾向にあり、同時により高度かつ複雑になっています。管理組合、管理会社はもちろん、弁護士や建築士など業種や立場の垣根を越えて対応する必要があるでしょう。
取材・文:小野悠史 撮影:ホリバトシタカ
WRITER
不動産業界専門紙を経てライターとして活動。「週刊東洋経済」、「AERA」、「週刊文春」などで記事を執筆中。X:@kenpitz
おまけのQ&A
- Q.トラブルが多い時期はありますか?
- A.トラブルは、特に春、4月から5月にかけて増加する傾向があります。主な要因として、引っ越しシーズンによる新居住者の増加、季節の変わり目による生活と体調変化が挙げられます。 引っ越しシーズンでは、新しい環境に慣れない居住者が増えることで摩擦が生じやすくなります。また、春は窓を開ける機会が増え、普段は気にならなかった音が問題になることも。さらに、この時期は体調を崩しやすく、特に持病のある方や高齢者が周囲の環境により敏感になることもあるのでしょうね。