多くのマンションで採用されているRC造(鉄筋コンクリート造)の耐震性は? なぜRCが選ばれるのか? RCの基本的な構造からその進化、高経年マンションの課題、そして次世代の建築材料までを日本大学理工学部建築学科「RC構造・構造解析研究室」に聞いた。
RC造とは鉄筋とコンクリートの特性を補い合う工法
――本日はRC建築について、特にマンションの耐震性を中心にお話を伺いたいと思います。まず、RC造について教えてください。
田嶋和樹教授(以下、田嶋):RCはReinforced(補強された)の頭文字「R」とConcreteの「C」を取った略称です。直訳すると「補強されたコンクリート」という意味になり、鉄筋を組んだ型枠にコンクリートを流し込んで両者を一体化させています。引っ張る力に強い鉄筋と、圧縮する力に強いコンクリートが互いの弱点を補完し合うという特徴を持っています。
――RC造の耐用年数や防音性はどの程度のものでしょうか。
田嶋:RC造はRCを用いた構造で、建物の柱や梁、壁、床といった主要な部分がRCでできており、耐震性はもちろん、耐久性、遮音性にも優れています。RC造の耐用年数は47年と定められていますが、実際には100年ほど持つとも言われています。また、コンクリートを流し込んで造られるため、他の建築構造と比べて隙間が少なく、材料として密度が大きいことから遮音性にも優れています。優れた職人の方々の高い技術によって曲面の形成が可能であり、多様な表現ができるため、素材として好まれる建築家の方も多いですね。

▲日本大学理工学部建築学科・田嶋和樹教授。日本大学理工学部で博士号を取得後、2004年より同大学教員。RC構造・構造解析研究室で鉄筋コンクリート構造の数値解析や耐震性能の研究に従事。コンクリート工学の分野で多数の受賞歴を持つ
――マンションの耐震性を考える上で、特に重要なRC構造のポイントは何でしょうか?
田嶋:大きく分けて2つあります。1つ目は、建物を支える「主筋」と「せん断補強筋(あばら筋、帯筋)」の役割です。主筋は部材の軸方向に配置され、部材の曲げや軸方向の力に抵抗します。一方、せん断補強筋はそれを横方向に巻く形で補強し、地震時のせん断力に抵抗します。この2つが適切に配置されているかが、耐震性に直結します。
2つ目は「かぶり厚さ」です。これはコンクリートの表面から鉄筋までの距離を指し、建物の耐久性に大きく関わります。コンクリートは本来、強いアルカリ性を持ち、鉄筋を錆びから守る役割があります。しかし、時間とともに中性化が進み、この保護機能が弱まります。もし鉄筋まで中性化が進むと、錆びが発生し始め、構造の強度が低下する可能性があります。
そのため、適切な鉄筋の配置と十分なかぶり厚さを確保することが、マンションの耐震性や耐久性を高める重要なポイントなのです。

▲コンクリートの中に鉄筋が入ることで補強され、耐震性、耐久性、耐火性に優れる
被害から学び続けた耐震技術進化の歴史
――この分野で大きな転換点となったのが1968年の十勝沖地震だったと伺いました。
田嶋:この地震は私も生まれる前の出来事ですが、当時を知る専門家は「非常に衝撃的な出来事だった」と皆、言います。それは、柱に「せん断破壊」(物体がずれて破壊されること)が起きてしまったことです。これは、当時の構造では、腰壁・垂れ壁によって柱が短柱化し、せん断力に抵抗する帯筋が少ないために「せん断破壊」が発生しました。この「せん断破壊」が柱に起きると建物の重さを支える柱の機能が失われ、建物は崩壊してしまいます。
振り返ると、RC建築の技術は1900年代初頭に日本に導入され、関東大震災などを契機に耐火性の高さから公共建築を中心に普及しました。しかし、当時はまだ、この種の破壊現象については、十分な理解がなかったと思われます。
この地震を受けて、1971年に重要な法改正が行われ、帯筋の間隔を2分の1~3分の1に縮めることが定められました。帯筋を密に配置することで、「せん断破壊」を防ごうというわけです。
――旧耐震と新耐震の違いについて教えてください。
また、1981年には建築基準法が改正され、いわゆる「新耐震基準」が導入されました。一般的にこの年を境に「新耐震」、「旧耐震」と区分されます。
新耐震は、1981年6月1日以降の耐震基準。中規模の地震(震度5強程度)に対しては、ほとんど損傷を生じず、極めて稀にしか発生しない大規模の地震(震度6強、7程度)に対しては、人命に危害を及ぼすような倒壊等の被害を生じないことを目標としたもの。旧耐震は、1981年5月31日までの耐震基準。震度5強程度の揺れで建物が崩壊せず、破損したとしても補修することで生活が可能な構造基準となります。
ですが、耐震性能を考える上では、1971年の基準変更も含めて考える必要があります。実際、1978年の宮城県沖地震では、同じような被害を受けた建物でも、帯筋が密に配置されていた建物は大きな被害を免れました。この成果は、現在の耐震設計の基礎となっています。

▲十勝沖地震(1968年)によってRC建築に新しい基準が導入された。せん断破壊が生じ、柱の支持力が失われている
――これらの経緯から、現在の専門家の間では建物を「1期」と「2期」に分類することが多いのですね。
田嶋:はい。「2期」が1971年以降の帯筋を密にした建物で、比較的高い耐震性能を持っていると考えられます。一方、最も注意が必要なのが「1期」、つまり1971年以前の建物です。大地震の際にせん断破壊が起きやすく、特別な対策が必要とされています。
――2度の大きな改正を含めて、日本のRC造マンションの耐震性は高まってきたことが分かります。
田嶋:この分野は、地震大国である日本の特徴が如実に表れています。1968年の十勝沖地震、1978年の宮城県沖地震など、実際の被害経験を重ねるたびに、私たち専門家は設計基準を改良してきました。その結果、現在のRC造マンションの耐震性能は着実に向上していると言えます。
――近年の地震では、建物の被害の出方が変わってきています。
田嶋:耐震設計の第一の目的は「人命を守ること」です。建物が倒壊・崩壊しなければ、住民の安全は確保されます。そのため、耐震設計基準はまず倒壊・崩壊を防ぐことを最優先に発展してきました。マンションに採用されている工夫としては、例えば、『構造スリット』と呼ばれる技術があります。建物の柱と壁の間などにあえてスリット(すき間)を設けることで、柱と壁を切り離し、構造物の一部に力が集中することを防ぎ、建物が大きく損傷することを防いでいます。
こうした進歩もあって、近年では建物の構造が強化され、倒壊・崩壊のリスクは大幅に減りました。しかし、その分だけ、外壁のひび割れや内装の剥がれといった軽微な損傷が目立つようになり「被害」として認識されることが増えているように思います。
ただ、これは耐震設計の目的が確実に達成されている証とも言えます。建物が大きく損傷したように見えても、倒壊・崩壊しなければ人命は守られる。現行の耐震基準に照らせば、RC造マンションは、まさにその役割を十分に果たしているのです。
――これからの耐震設計は、どのような方向へ進んでいくのでしょうか?
田嶋:耐震設計は「性能設計」という考え方へ移行しつつあります。
これまでの耐震設計は、まず「人命を守ること」を最優先に進化してきました。しかし今後は、それに加えて「地震後も建物を安全に使い続けられるか」という視点が重要になってきます。
建物のオーナーや住民が求める耐震性能を、設計の段階から明確に定め、例えば、「大地震後も建物を継続して使用できる」といった要望に応じた設計も可能になっています。ただし、耐震性能を高めるほどコストも上がるため、単に倒壊を防ぐだけでなく、安全性と経済性のバランスをどう取るかが、これからの大きな課題になっています。

▲今回の取材では研究室の学生・井上惠太さん(M1)、矢幡悠さん(M1)にも参加いただいた
2つの老いと向き合う集合住宅の現実
――お話を伺ってきて築50年を超えるような高経年マンションの耐震性が気になります。
田嶋:2016年の熊本地震で現地調査した、1974年築のマンションの事例を紹介します。このマンションは1階が駐車場として利用されていた開放的なピロティ構造だったため、地震で1階部分の柱が破壊され、その階だけが潰れてしまいました。大部分の柱がほぼ同じタイミングで壊れたので倒壊は免れましたが、倒壊の危険性も十分にあったと考えられます。
建てられた時期と構造を考えるといち早く耐震補強をするべきだったと思いますが、実際に住民の方々とお話しすると、「まさか自分たちのところに地震が来るとは思っていなかった」という声が多く聞かれました。

▲熊本地震で柱が破壊されて1層が崩壊したマンション

▲柱が潰れてしまっているが一気に壊れたことでバランスを保てたのか倒壊はしなかった
――高経年マンションの耐震補強が進まない背景には、どのような問題があるのでしょうか。
田嶋:「2つの老い」が大きな課題です。建物の老朽化と住民の高齢化です。例えば、先ほどの1974年築のマンションの場合、熊本地震当時ですでに築42年です。残りの法定耐用年数は5年でした。仮に30歳で購入された方もすでに72歳になっており、おそらくは年金生活の中で大規模な投資を決断することは困難だったと推測されます。
――10数年の間に大きな地震がない可能性も十分にあるわけで、決断は難しいですね。高経年マンションの耐震対策について、行政など公的な機関はどのような支援を始めているのでしょうか。
田嶋:東京都が2024年4月に始めた取り組みに注目しています。危険性の高いピロティ構造の建物に対して、緊急的な補強工事への補助を行うものです。東京都の資料を読むと、通常の耐震基準(Is値0.6)ではなく、まずは命を守るための最低限の水準(Is値0.3)を目指しており、耐震化を進める上で現実的な解決策であると思います。
――研究者の立場から、高経年マンションの耐震対策にはどのようにアプローチされているのでしょうか。
田嶋:私たちの研究室では、建物の崩壊過程をコンピューターでシミュレーションし、最小限の投資で最大の効果を得られる耐震補強手法を研究しています。すべての柱を一律に補強するのではなく、どの部分が建物の耐震性に最も影響を与えるのかを特定し、効率的に補強を行おうとしているのがポイントです。
特に、先述のような1階がピロティ構造になっている建物は地震の際に崩壊しやすいため、早急に対応するためにも、従来よりも低コストで実現可能な補強手法の開発を目指しています。この研究の特徴は、最新のシミュレーション技術と同等の結果をコンピューター化以前の構造計算で使われていた手計算の方法を応用して得られる点です。将来的には、老朽化が進み、空き家化するマンションの対策にも応用できると考えています。

▲数値解析を駆使して、低コストでできる耐震補強法の研究などを進めている
――田嶋先生の研究室では、数値解析を活用されていますが、その利点は何でしょうか。
田嶋:耐震補強のために、建物の部材ごとの強度を実験で確かめようとすると、試験体の作成だけで100万円以上かかることもあります。しかし、コンピューター上でシミュレーションできれば、多くのパターンを短時間で検証でき、コストも大幅に抑えられます。
最近では、建物がどのように崩壊していくのかを順を追って分析できるようになりました。どの柱がどのタイミングで壊れるのかが分かれば、必要最小限の補強で最大の耐震効果を得られる方法を提案できます。この技術を活用することで、より現実的かつ効率的な耐震対策が可能になるのです。
未来を拓く建築技術の最前線
――RC造について構造を中心にお話を伺ってきましたが、建築素材としてのコンクリート技術の進歩も目覚ましいですね。
田嶋:私が注目しているのは北海道の會澤高圧コンクリートという会社が世界で初めて量産化した「自己治癒コンクリート」ですね。これはオランダのデルフト工科大学と共同開発したもので、ひび割れが入ると、その中でバクテリアが活動してセメントに近い物質を生成し、自然に修復してくれるというものです。
もう一つは、同じく會澤高圧コンクリートによる開発です。これはMIT(マサチューセッツ工科大学)と共同して実用化を進めているもので、RC造の建物自体が蓄電池として機能します。これを使えば、太陽光発電で生み出した電気を建物に貯められるようになるかもしれません。

▲會澤高圧コンクリートとMITによる蓄電コンクリートの実験の様子。コンクリートにカーボンブラックを添加することで発熱性や蓄電性を持たせることができるそう
――多くのゼネコンがコンクリートについての研究や開発を進めているんですね。環境問題への対応も進んでいると聞きます。
田嶋:そうですね。清水建設などが開発している「CO2吸収コンクリート」は注目に値します。コンクリート製造時に発生するCO2を、建物自体が吸収してくれる。しかも、吸収したCO2が鉄筋の腐食を防ぐ効果もあるという一石二鳥の技術なんです。
井上:NASAは、月面基地の建設に向けて『レゴリス』という月の表土を使ったコンクリートの研究を進めていますね。
矢幡:キノコの菌糸を使って建物を作る研究も進んでいますよ。菌糸は自己成長し、自己修復も可能ですから、半永久的に持続する建物ができるようになるかもしれません。
田嶋:これらはSFのように聞こえるかもしれませんが、材料の研究者たちの努力によって、こういった技術は20年後、30年後には実用化されているかもしれません。
私たち構造の研究者は、新しい材料が開発された時に、それをどのように建築に活かしていくか、という視点で研究を進めています。そして、技術の進歩を人々の暮らしの安全につなげることが大切です。コンクリートという素材にも、RC建築にもまだまだ大きな可能性が秘められています。これからも、より良い建築の実現に向けて研究を重ねていきたいと思います。
取材・文:小野悠史 撮影:石原麻里絵
WRITER
不動産業界専門紙を経てライターとして活動。「週刊東洋経済」、「AERA」、「週刊文春」などで記事を執筆中。X:@kenpitz
おまけのQ&A
- Q.最も印象に残っているRC建築は?
- A.田嶋:フランスのル・ランシーにあるノートルダム教会です。RC建築の父と呼ばれるオーギュスト・ペレの作品で、1923年に建てられました。鉄筋コンクリートの柱だけで屋根を支える構造を採用し、壁全面をステンドグラスにするという革新的な建築です。初めて訪れた日は、朝早くから夕方まで、何時間もその空間で過ごしてしまったほど感動しました。美しいだけでなく、RC構造の可能性を示した、歴史的に重要な建築物です。