日本海側に位置する政令指定都市「新潟市」。中心市街地は細長い都市軸でつながるまちのマンションの未来を現状の景観とこれまでの歴史をもとに探る。
いま、地方都市でマンション市場が活況となっている。その理由や、実際の様子を「地方都市の中心市街地にいまマンションが増えるワケ」や「『琵琶湖』のほとりにマンションが立ち並ぶ『大津市』の魅力」で紹介してきた。今回は地方都市の中心市街地におけるマンションの現状として、日本海側の政令指定都市、新潟市の中心部を探っていきたい。
新潟駅から延びる大通りに沿って都市軸が形成された新潟市街地
東京から新幹線で約2時間。人口約77万人が暮らす新潟市の玄関口、新潟駅に到着する。在来線は信越本線、白新線、越後線が乗り入れ、山形県・秋田県の日本海側へアクセスする特急「いなほ」も発着する。
駅の「表」は北側で、駅前にはオフィスビルや飲み屋街が目立つ。また、駅前から大通りが北西方向に延び、この大通りが新潟の都市軸となっている。マンションも都市軸に近い場所に多く立ち並ぶ。
まず、駅から10分ほど歩くと、大通りの南側に「万代シティ」が広がる。バスセンタ-を中心にホテルや「ラブラ万代」「新潟伊勢丹」といった商業施設がデッキで結ばれ、多くの人が訪れる。「万代シティ」と大通りを挟んだ北側にはマンション群が見られる。
▲「万代シティ」の中核、「新潟伊勢丹」
「万代シティ」からさらに大通りを北西に進むと、まもなく信濃川にかかる萬代橋にさしかかる。石造りの連続アーチ構造の橋は国指定重要文化財となっており、新潟市街地におけるシンボル的な存在だ。そして、橋から川沿いを見ると、萬代橋近くと上流の西側にマンションが多く立っているのが分かる。
萬代橋を過ぎて左にカーブを切ると、古くからの市街地である古町・本町エリアにさしかかる。すると大通りには「柾谷小路(まさやこうじ)」という名前がつく。「小路」といっても片側3車線の道路を中心とした立派な大通りだ。通りに直交するように本町通り、古町通りとあり、本町通りは生鮮食料品店や露店が目立つ商店街、古町通りは衣料品店や飲食店が目立つ商店街となっている。古町通りは新潟の中心街でもメインとなっていた商店街で、南北に長く、柾谷小路より北側は繁華街となっており、南側は所々にリノベーションでつくられた飲食店や衣料品店も見られる。
古町通りの西、西堀交差点地下には地下街「西堀ローサ」があり、取り囲むように大型のビルが目立つ。北東には元百貨店「大和新潟店」でオフィスビルの「古町ルフル」が、北西には中央区役所をメインテナントとした再開発ビル「NEXT21」が、南西には2020年に閉店した「新潟三越」の建物が立つ。また、「NEXT21」の西隣にも下層階に銀行が入居する大型マンションが立っている。
西堀交差点の西側で柾谷小路は終わり、大通りは南西へと向きを変える。しばらく中小のマンションやビルが入り交じるエリアを通ると、新潟市役所と白山公園があるエリアにさしかかり、ここまでが新潟市の中心市街地および都市軸となる。さらに南西側に目を移すと低層住宅メインの景観に変わる。
▲本町の柾谷小路南側に広がる商店街。大型スーパーを中心に食料品や花を扱う店が目立つが、行き交う人は少なめ。古町の商店街はさらに少ない
▲古町・本町エリアの柾谷小路沿いはビルが立ち並ぶ
新潟市街地におけるマンション立地の特徴
新潟市の中心市街地についてざっと説明したが、マンションは万代シティから信濃川沿いにかけてのエリアと柾谷小路の西側に立地していることが分かる。特に信濃川沿いにマンションが多いことが特徴的だ。
また、古町・本町エリアについては、少しずつ大型マンションが増えているほか、「新潟三越」跡地には高さ150メートルのマンションをメインとした複合ビルが2025年にも着工予定で、再開発によるマンション建設が注目されるエリアであるように見える。
じつは、この中心市街地の都市軸から少し外れたところにも1ヶ所、マンションが目立つエリアがある。それが新潟駅の南側だ。新潟駅北側の表玄関感とは対照的に裏口感の強い南口だが、区画整理がされ、築年数が多少経過したマンションが何棟も見られた。また、駅近くの再開発エリアには31階建てのマンションを中心とした複合施設「LEXN」が近年開業し、こちらも再開発によるマンション建設のポテンシャルがあるように見えるだろう。
そして、新潟の中心市街地を都市軸から見ていくと、非常に中心市街地が細長い印象を受ける。例えば、新潟駅から「万代シティ」にかけてのエリアは都市の中心部のように見えるが、少し裏通りに入れば、ビル群からすぐに低層住宅地になる。中心部であればもう少し面的にビルやマンションがあってもおかしくない。信濃川を挟んだ柾谷小路沿いもビルが立ち並び、立派な市街地に見えるが、人通りは少なく、以前と比べて求心力が落ちてしまったようにも見える。
じつは新潟市街地をただ見ただけでは、マンション立地としての今後の展開は、非常に考察しづらい。
では、新潟の中心市街地でマンションのポテンシャルは本当にありそうなのか。そしてどのエリアが注目なのか。それは歴史からひもとくと分かりやすい。
▲新潟駅南側にもマンションが多く見られる
信濃川西岸の市街地は江戸時代の町並みがベース
新潟は港町から発展した歴史を持つ。安土桃山時代に信濃川河口近くに港が造られ、何度か町並みを移転したのち、江戸時代初期に現在の古町・本町エリアから白山エリアまでの市街地が長岡藩の手により整備された。町並みは北東から南西に向かう「通り」と北西から南東に向かう「小路」により、格子状に形成された。
江戸時代末期には新潟が長岡藩の所領から幕府直轄領となり、その結果としてアメリカをはじめ5ヶ国と結んだ修好通商条約に基づく開港場設置において、新潟が日本海側の開港場として選ばれた。
明治時代になると、1886年に信濃川に架かる萬代橋が開通。そして、近代化を代表する鉄道は、信濃川架橋にかかる工事費の問題で、新潟市街地には乗り入れず、萬代橋の東側たもとに駅を設置することになった。この新潟駅には現在の信越本線しか乗り入れておらず、現在の越後線は大正時代に西側から白山駅まで開通、白新線は第二次世界大戦前には開業していなかった。
また、信濃川や阿賀野川の流路や流量の変化は新潟のまちを少しずつ変えていった。まず明治時代に、江戸時代には島となっていた現在の「秣川岸通(まぐさかわぎしどおり)」の東側を住宅地として整備。さらに、1922年の大河内津分水路の完成により、信濃川の流量が少なくなり、萬代橋付近で川の両岸を埋め立てることとなった。万代や川岸町といった現在マンションが多く立ち並ぶエリアは、このときに生まれた。つまり、信濃川に沿ったエリアにマンションが多いのは、元々埋め立て地で古くからある市街地の後背地であったことも作用していると考えられる。
▲萬代橋から見た信濃川西岸。マンションが多いのが分かる
高度経済成長期に広がりを見せた市街地
第二次世界大戦前は信濃川の西側が新潟の中心市街地として栄えた。
その中心となる柾谷小路は、明治時代から何度か拡幅され、昭和初期に幅約30メートルの道路となった。そして、昭和初期の拡幅に伴う建物移転と前後して、1937年に古町に「万代百貨店」(のちの大和新潟店)、「小林百貨店」(のちの新潟三越)が相次いで開業。古町が新潟の商業の中心となり、現在の都市景観の基礎を作った。
信濃川東岸にまちが広がるのは第二次世界大戦以降のことで、きっかけはふたつある。ひとつは国鉄新潟駅の移転、もうひとつは1964年の新潟地震だ。
国鉄新潟駅は、越後線の白山から新潟への延伸と白新線の開業に合わせる形で1958年に現在の位置へと移転した。併せて新潟市は土地区画整理事業を駅の南北で実施。その後、駅北側はビルが立ち並び、発展していったものの、駅南側は1980年代に再びテコ入れが行われた。しかし、1985年に開業した「プラーカ新潟」は思うようにテナントが集まらず、現在のようなマンションがパラパラと立地するエリアになった。
もうひとつのまちの変化のきっかけである「新潟地震」は1964年6月に発生。埋め立て地などで発生する液状化現象と津波による被害もあり、当時の新潟市内を含めた全体で約9000軒が全半壊という大きな被害を与えた。
この地震で運輸事業者の新潟交通は、万代エリアにあるバスの車庫で浸水や建物の基礎が傾くなどの大きな被害が発生した。これを受け、バスの車庫を郊外へと分散移転することを決定。万代エリアに残される社有地を利用した「万代シティ」を計画した。1973年には「ダイエー新潟店」、1984年には「新潟伊勢丹」など徐々に商業施設やホテルを開業し、1980年代にはダイエー新潟店が日本一の売り上げを記録するなど、一大商業エリアを形成していった。
こうした万代エリアの発展に対し、古町に立つ百貨店は増床を行うとともに、1976年には地下街「西堀ローサ」が開業。また西堀交差点角にあった新潟市役所が移転し、「ラフォーレ原宿」を中核テナントとする再開発ビル「NEXT21」が1993年に開業した。こうした取り組みもあって、萬代橋を挟んで両岸にある商業エリアは共に発展し、その間に位置していた住宅地の川端町や上大川前通などは商業・業務地域の後背地として商業地区の高い容積率を利用した大規模マンションが建設されていった。
▲万代エリアは商業エリアとマンション双方が目立つ
▲西堀交差点から少し南に行ったエリアには近年建てられたマンションが何棟もあった
1990年代後半以降、明暗が分かれた信濃川の両岸
1990年代前半まで発展が目覚ましかった信濃川両岸の市街地であったが、1990年代後半から郊外に立地する大型商業施設に消費者が流れる傾向が見られた。そして、川の両岸はそれぞれ違った変化をする。
信濃川西岸の古町・本町エリアについては、駐車場が有料かつ少ないことで、急速に商店に活気がなくなっていったようだ。2010年には「大和新潟店」が閉店し、2016年には「NEXT21」の中核テナントであった「ラフォーレ原宿」が撤退。そして古町エリアに唯一あった百貨店の「新潟三越」も2020年に閉店となった。「西堀ローサ」も2025年3月までに全テナントを撤退させ、運営会社を清算することが決定している。こうした事態に対して、活性化策が打たれたものの、必ずしも芳しくはない。
例えば、「大和新潟店」跡地に建設された「古町ルフル」は、当初は商業機能も入れることを検討したが、出店希望はなく、オフィスメインとなった。また、「ラフォーレ原宿」が抜けた「NEXT21」のフロアにも商業機能は入ることはなく、地元の要望で中央区役所が移転してきている。そして、先述した「新潟三越」跡地は商業機能も入る計画ではあるが、マンションメインの建築物として建て替えを行う計画が進んでいる。
一方の信濃川東岸の万代エリアも2005年には「ダイエー新潟店」がダイエーの経営問題がきっかけで閉店した。しかし、跡地には三井不動産が入り、「ラブラ万代」としてリニューアル。また、ボーリング場を建て替えた「ラブラ2」も2013年に開業し、万代エリアはさまざまな年齢層を未だに引きつける商業エリアとして存在感を保っている。その背景としては駐車場が多いことや新潟駅から徒歩圏であることも大きい。
そして、移転から65年以上が経過した新潟駅も存在感を増している。きっかけは1990年代後半から構想された高架化計画で、2006年に事業着工。2022年には在来線の高架化を完了すると、新潟駅駅ビルが在来線高架化前と比べてテナント数、店舗面積共に大幅に増加し、2024年4月に「CoCoLo新潟」としてグランドオープンした(テナント数170店舗)。このように、信濃川の両岸でまちの様相は対照的となっている。
▲2020年に閉店した「新潟三越」。今後マンションをメインにした再開発が行われる
▲「大和新潟店」跡に開業した「古町ルフル」
▲新潟市の玄関口、新潟駅。2022年の高架化工事で装いを一変し、現在は「仕上げ」の工事中だ
今後の新潟市街地のマンション事情はどうなる
ここまで、新潟市街地の現状と新潟の中心市街地が近現代にさまざまな要因から新潟駅側へ移動している状況を紹介した。こうした景観と歴史の両面から見ていくと、萬代橋周辺に代表される川沿いのマンションは元々2つの市街地に挟まれたマンション好適地であること、また、近年はそれぞれのまちそのものの立ち位置が変化しつつあることがうかがえたのではないだろうか。
特に近年の古町・本町エリアの商業機能の状況を考えると、今後は万代エリア周辺から古町・本町にかけてのエリアが全体的に新潟駅周辺・万代エリアの後背地となり、市街地再生という施策を絡め、下層階に商業や業務機能を持たせた大型マンション建設の機運が出てくるのではないかと考えられる。
また、新潟駅周辺の存在感が増し、高架化工事を契機とした道路建設で新潟駅を挟んで南北の移動がしやすくなっていけば、築年数が経過しているマンションが目立つ新潟駅南側にもマンション建設の波が広がっていく可能性がある。ただ、こちらは公共交通が便利な古町・本町エリアの動きに比べると弱いのではないかと想定される。
いずれにしても、新潟は豪雪地帯であり、共同管理を行うマンションというのは魅力的な選択肢だ。今後の新潟市は新潟駅周辺・万代エリアを新潟市のコアとして、マンション建設は中心市街地の信濃川西側エリアで特に進んでいき、まちの役割を変えていくといえそうだ。
▲新潟駅前も業務機能を持つビルが目立つ
WRITER
神奈川県生まれ。現在までに全国にある 700 以上のまちを訪ね歩いた、「まち探訪家」。父親の実家が限界集落にあった経験などから、「この地域はいかにしていまの姿になったのか」という問いを抱き、まちを見て歩き、考える日々を送る。現在は会社員と二足のわらじでウェブメディアへの寄稿をメインに活動中。
おまけのQ&A
- Q.新潟市中心部の公共交通の利便性は?
- A.新潟駅から萬代橋、柾谷小路を通って市役所へ至る区間は市内西部からのバスが多く走るほか、幹線として「萬代橋ライン」を設定しており、連節バスも運行される。昼間でも毎時20本以上のバスが来るため、10分も待つことはなく、郊外のショッピングセンターに行くことがなければクルマは必要ないといえよう。夜も遅い便であれば新潟駅発23:30すぎまでバスがある。また、中心市街地では「にいがた2kmシェアサイクル」が利用でき、移動しやすい。
- Q.新潟駅の利用者数は?
- A.コロナ禍の2020、2021年を除くと、1日あたりの乗車人員は概ね3万人から3万7000人(新幹線利用者7000人から9500人も含む。数値は新潟市統計書より)。在来線は信越本線の新潟~新津駅間、越後線の新潟~内野駅間、白新線の新潟~豊栄駅間は毎時3本以上が運行されており、鉄道の利便性も高い。終電は終バスと同じく概ね23:30~23:40ごろに設定されている。