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2023.02.17

【マンションのあるまち-1】マンションが「八王子」の風景を変えたワケ

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【マンションのあるまち-1】マンションが「八王子」の風景を変えたワケ

東京多摩・八王子中心部では、いまマンションの建設で人口が増加。その背景にある、まちの魅力と歴史をまち探訪家の鳴海侑さんが探ります。

取材・文・撮影:鳴海侑(まち探訪家)

 

1950年代に誕生したとされる「マンション」。その誕生から半世紀以上経った今もなお日本各地で建設され続け、新たな住空間を生み出している。
時に、マンションは住空間の創出だけにとどまらない。ある場所では新しいまちづくりの原動力となり、別の場所では歴史や伝統があるまちに新たな風をもたらす。
今回はマンションプラスで全4回にわたり、「マンション」が生み出したまちの変化を特集していく。まず1回目はマンションの建設でまちの新陳代謝が起きた、東京都八王子市の中心部をご紹介したい。

 

 

いま、マンションで変化が起きている八王子市の中心部とはどんな場所なのかをまず見ていきたい。
八王子市は東京都心から西に40キロメートルの場所に位置し、面積は約186平方キロメートルと都内ではかなり広い部類に入る。人口は50万人台後半と多摩地域では最も多い。市内には観光地の高尾山を持つほか、大学も多く、中心市街地では学生の姿も多く見かける。

甲州街道沿い

▲八王子駅北側の甲州街道は宿場町であったが、現在はマンションが建ち並ぶ。

市の中心市街地は八王子駅周辺だ。新宿駅から中央線快速電車で40分ほどかかる。郊外としては少し遠い印象を受ける人もいるかもしれない。
八王子駅はJR中央線快速電車をはじめ、甲府方面へ向かうJR中央本線の列車や東神奈川方面に向かうJR横浜線、川越方面へ向かうJR八高線と東西南北4方向から列車がやってくる多摩地域の鉄道輸送の要衝になっている。そのため、利用者は多く、乗車人員ベースで1日平均6万5571人(2021年度)、コロナ禍前では8万3565人(2019年度)という利用実績だ。山手線のターミナルほどではないものの、郊外のターミナル駅としては十分存在感のある数字である。

 

 

駅の改札を出ると、南北に自由通路が通っており、ここを行き交う人も多い。南北には駅ビルの「セレオ」の北館、南館があり、さまざまな世代向けの専門店がテナントとして入り、多くの人でにぎわう。

八王子駅自由通路

▲八王子駅南口から北口方面を見る。自由通路には多くの人が行き交う。

セレオ八王子北館がある北側がメイン出口で、駅前には「マルベリーブリッジ」と名付けられたペデストリアンデッキがかかる。駅北西には1997年に開業した複合商業施設「八王子オクトーレ」(旧「八王子東急スクエア」)があり、こちらにも衣料品をはじめとした専門店は多い。セレオとオクトーレをはしごすれば衣料品をはじめとした「ちょっとまちに出てする買い物」の需要を幅広く満たせるように見受けられる。
マルベリーブリッジから北に延びる道路(桑並木通り)を見れば、ビル街とひっきりなしにバスが行き交う様子を見ることができる。このバスは主に八王子市内各地から八王子駅を結ぶ路線バスで、バスを見れば多くの人が乗っている様子をうかがうことができるだろう。

八王子駅北口

▲八王子駅北口から北へ延びる「桑並木通り」は多くのバスが行き交う。

また、駅の北東と北西それぞれの方角には放射状に道路が延びている。東側の放射線「アイロード」を進むと、都心から八王子へのもう一つのアクセス路線、京王電鉄京王線の京王八王子駅があり、駅ビル「K-8」(1994年開業、1999年リニューアル)がある。こちらも八王子駅前の商業施設ほどではないものの、さまざまなテナントが入る商業施設だ。

ユーロード

▲西放射線「ユーロード」は多くの人が行き交い、奥には甲州街道沿いのマンションも見える。

今度は西側の放射線「ユーロード」に目を移せば、歩行者・自転車専用道路になっている。道路沿いには大型量販店のドン・キホーテ(2011年開業)やチェーン店、地元の商店などが軒を連ねる。アイロード、ユーロードともに人通りは多い。
バスが行き交う通りを進むと400メートルほど、ユーロードを進むと500メートルほどの位置に甲州街道が東西に走っている。ここが、今回紹介するマンション群だ。

 

 

甲州街道沿いに出ると、そこまでのビル街から一転し、中高層のマンションが道路の両サイドに立ち並ぶ。特に八王子駅北側の横山町交差点から西、八日町交差点までの一帯は大規模なマンションも多い。
また、このマンション街で特徴的なのは築20年以内であるとみられる比較的新しいマンションが目立つことだ。マンション街は年々西に延びていっており、マンション街の合間に地元商店や事務所がある。

 

あるマンションの下には「荒井呉服店」と書かれたお店がある。ここは歌手の松任谷由実さんの実家にあたる。数年前まではマンションに挟まれた2階建ての店舗だったが、ここ5年の間にマンションに建て替えられた。
さらに甲州街道を西に向かうと一旦マンションの密度が薄くなり、甲州街道は南西へと折れる。この交差点は甲州街道と陣馬街道(甲州裏街道・案下道)を分ける「追分町」交差点で、ここから西の甲州街道沿いは多摩御陵の表参道となり、いちょうが道の両側に植えられている。

 

また、いちょう並木とともにマンションも再び密度を増していく。ちょうどこのあたりは八王子駅からJR中央線快速電車で1駅西のJR西八王子駅に近い。近年ではこのエリアの注目度も高くなっている。

甲州街道沿いのいちょう並木

▲西八王子駅近くの甲州街道沿いの様子。甲州街道の両側にはいちょうが植えられている。

西八王子駅前自体は八王子駅前と異なり、駅前にスーパーやドラッグストアが目立つ東京郊外の住宅地らしい駅だが、1駅で大規模商業施設がある八王子駅に行ける、なおかつ中央線快速電車の本数も少なくないとなれば、駅前もこのくらいで利便性十分ということなのだろう。
ここまで見てきたエリア、特に横山町交差点から八日町交差点にかけてのエリアは、ここ20年近くで人口がなんと1.5倍に増えた。近年、郊外は縮退や高齢化についての話題が多い。八王子市も例外ではなく、駅から遠い団地や住宅地の高齢化の課題もあり、市全体の人口はずっと横ばいだ。その中でもずいぶんな人口の伸びをみせている。
それにしても、都市計画の関係とはいえ、なぜこんなにもマンションが甲州街道沿いに増え、人口を増加させたのであろうか。それは八王子の歴史が大きく関わってくる。

 

 

八王子のマンション群成立の背景はまちの歴史の流れの中に見ることができる。
八王子は中世まで山の中にある八王子城が中心だった。その後江戸時代になり、五街道の整備が進められると、八王子に所領を与えられた大久保長安の手で現在の横山町・八日町に宿場町が形成された。
また、八王子は西に高尾山をはじめとする山を控え、甲州街道の小仏峠には関所があった。関所の西へ向かえば元々は武田信玄に代表される武将・武田氏の所領、甲斐国に通じる。そこで八王子は防衛の要衝としても重視された。そこで大久保長安は「八王子千人同心」と呼ばれる治安維持集団を作った。現在のJR西八王子駅近くの千人町は千人同心の屋敷があったことにちなむ地名だ。千人同心は将軍家ゆかりの日光の警護も担当するようになり、日光脇往還(千人同心街道)が整備された。こうして八王子を経由する交通網が整備されていった。

 

時代は下って明治時代になると、八王子は交通網の整備を活かして交易の要となった。山梨県や長野県、埼玉県秩父地方などで生産された生糸が集積し、八王子からは「絹の道」とも呼ばれた八王子街道や、現在のJR横浜線を経由して貿易港・横浜港へと輸送されていった。

八日町交差点

▲甲州街道沿い、八日町交差点付近の様子。個人商店もちらほらと残っている。

また、市内で織物が流通することにより、横山町や八日町は大変に栄えた。その隆盛は1970年ごろまで続き、1960年代には八日町に「まるき百貨店」や「イノウエ百貨店」といった百貨店が開業する。その後は1970年前後に大型商業施設の開業ラッシュとなった。まず甲州街道沿いには伊勢丹、大丸といった地場資本ではない百貨店が開業し、八王子駅近くには西武、丸井も開業した。百貨店以外には甲州街道沿いにダイエー、八王子駅近くに長崎屋が開業。にわかに八王子は商業激戦地になる。

 

 

しかし、高度経済成長期になり、東京都心部の通勤圏が大きく広がると八王子も市内に館ヶ丘団地をはじめ中~大規模な住宅団地が造成され、東京都心へ向かう人の通勤圏に含まれていくようになっていった。すると、甲州街道よりも駅の拠点性が増していくこととなる。駅が八王子の中心部となるのを決定付けたのは1983年に開業した八王子駅直結の駅ビルで、完成と同時に「そごう」と専門店街「ナウ」が入居し、完全に駅が集客の中心となっていった。
この中心街の駅前シフトにより打撃を受けたのは甲州街道沿いの横山町や八日町だ。八日町の百貨店は都心や関西資本の百貨店の進出で70年代には撤退。その後は甲州街道沿いにあった伊勢丹や大丸は1980年代中頃までには撤退した。さらには1990年代前半には駅近くにあった西武が、2000年代に入ると丸井も撤退している。百貨店は概ねバブル期を売り上げのピークに右肩下がりの業界ではあるが、八王子はピークに近いころには既に大型商業施設の撤退が始まっていたのである。
駅ビルは、2012年には「そごう」の撤退とともに「セレオ」へとリニューアル。2010年に開業していた南口の「セレオ」と一体化してファミリー向けのテナントが多いビルに転向、駅の集客力を高めていった。一方、甲州街道沿いはすっかり拠点性を失った。

 

 

道路交通では1980年代には八王子バイパスが開通し、南北交通は八王子市街地を迂回して通行できるようになった。
しかし、甲州街道沿いは駅近くの幹線道路沿いという立地条件には変わりはない。幹線道路沿いの商業エリアは都市計画で容積率が高く設定されていることが多い。そのため、今度は駅チカの良質な大規模マンション用地として注目されるようになった。
こうした歴史の流れによって甲州街道沿いは魅力的なマンション用地として注目され、次々と中高層マンションが建設されていくことになる。そして、先述のように横山町や八日町の人口は大きく増加することとなった。

甲州街道

このような一連の流れは一見すると、ロードサイド店舗の台頭で求心力を失った地方都市の中心市街と似たような流れに見えるかもしれない。しかし、中心市街が活気を失いつつある(あるいは失った)地方都市と八王子が異なるのは、中心市街にも活気があり、またその活気はマンションに住む駅近隣住民を生み出しているということだ。こうしてマンションの力で八王子の歴史あるエリアに新たな風がもたらされ、八王子市中心部のにぎわいにもつながったのである。

 

 

甲州街道にマンションが建ち並ぶ八王子。マンションを建てやすい土地であったこともそうだが、それだけではマンションが増加するわけではない。十分に周辺地域に魅力があり、八王子が暮らしやすいまちであるからこそ、多くのマンションが建てられたといえる。周辺地域の話でいえば、電車で10分ほどの場所にある立川駅周辺は再開発などで休日に都心まで出なくても楽しめる遊びスポットが増えた。都心に出るとしても新宿まで40分だ。毎日だと少し遠い印象も受けるが、たまに行くには十分近い。

 

ここにいま、東京都心部の地価上昇や働き方の変化がさらなる追い風をもたらすかもしれない。まず、一部の業種ではあるが、リモート勤務やフレックスタイム制を取り入れた働き方が増えた。毎日東京都心に出勤するわけでなければ、多少遠い場所でも自然環境や周辺の買い物環境が良く、家賃あるいは面積が好条件の物件に住みやすくなる。そうなると八王子市中心部近くというのも選択肢に入ってくるだろう。
 
 また、八王子のまちにも様々な計画があるのも期待できるポイントだ。例えば駅周辺では東放射線「アイロード」に面したエリアの再開発の計画があるほか、八王子駅南側1キロメートル弱の位置にある医療刑務所跡地の図書館・ミュージアム・大規模公園の複合的機能施設整備計画、中央自動車道八王子インター近くに東京都内最大敷地のショッピングモール建設計画と目白押しだ。
実際、近年は「住みやすいまち」系のランキングで八王子の名前が挙がることも出てきており、確実に注目度は上がってきた。今後も八王子駅近辺のマンション供給は続いていき、人口は増えていくことが予想される。八王子は、今後の変化も含めて、見て歩くのが楽しみなまちであるに違いない。

 

WRITER

鳴海 侑
神奈川県生まれ。現在までに全国にある 700 以上のまちを訪ね歩いた、「まち探訪家」。父親の実家が限界集落にあった経験などから、「この地域はいかにしていまの姿になったのか」という問いを抱き、まちを見て歩き、考える日々を送る。現在は会社員と二足のわらじでウェブメディアへの寄稿をメインに活動中。

X:@mistp0uffer

おまけのQ&A

Q.八王子市中心部に新たに建築されたマンションの主な間取りは?
A.ここ10年のトレンドとしては3LDKが主要間取りの物件が多いです。
Q.八王子駅周辺で新たに販売されたマンションでの主な価格帯は?
A.駅徒歩5分以内であれば5000万円台を超えることもありますが、今回紹介した甲州街道沿いで多いのは3000万円台~4000万円台です。