分譲戸数が激増した1970年代から現在まで。長谷工総合研究所 常務取締役の酒造豊さん監修のもと、首都圏のマンションの半世紀を振り返ります。
※所属会社・役職は取材当時のものです。
文:山下紫陽 インフォグラフィック制作:カーツメディアワークス
分譲戸数が激増した1970年代から現在まで。長谷工総合研究所 常務取締役の酒造豊さん監修のもと、首都圏のマンションの半世紀を振り返ります。
※所属会社・役職は取材当時のものです。
文:山下紫陽 インフォグラフィック制作:カーツメディアワークス
「マンションに住む」。従来の「家に住む」という価値観に変革が訪れたのは第1次オイルショック後の1973年のことでした。以降全国のマンションの分譲戸数が15万戸を超え増加の一途を辿り、1970年代後半以降には東京への通勤圏にある首都圏の各都市へのマンション供給が増えていきました。そしてバブル景気下の1987年にはマンション価格はぐんと上昇。バブル崩壊直前の1990年には、平均価格が6123万円にまで高騰しています。一方、平均面積は緩やかに拡大し、1990年には65.54㎡となりました。
ところが1991年にバブルが崩壊すると、マンションの供給数は86年の4万戸台から2万5000戸台にまで激減。平均価格も4000万円台まで下がりました。一方、景気後退期を脱した94年あたりからはバブル経済の崩壊もあって、土地の供給が増加。都心部でのマンション供給が増加し、かつ一戸あたりの平均面積が拡大するものの価格は安定する状況が継続しました。加えて商品企画面でも様々な工夫が行われ、住宅すごろくで“賃貸アパートからマンションに移り住み、最後は戸建住宅へ”と言っていたのが、マンションを終の棲家にしていいという人が増えてきたという意識の変化もあったようです。
1995~2005年は8万戸前後の大量供給が続き、価格・面積ともに大きな変動はありませんでしたが、2008年のリーマンショックをきっかけに一挙に激減したのが供給戸数です。これにはリーマンショックによってデベロッパーが淘汰され、供給構造そのものが変化したという事情がありました。
日銀がマイナス金利政策の採用を発表した2016年には、平均価格が5490万円まで上昇、一方で平均面積は69.22㎡に縮小。超低金利の中、女性活躍推進法の制定(2015年)などの影響もあり、「共働きのパワーカップルのマンション購入」という流れが加速しました。この層には2019年の消費税増税の影響はほとんどなく、2021年には平均面積が縮小する一方で、価格は6260万円と過去最高を記録するまでに。共働きパワーカップルを中心に都心部の高価格だが利便性の良い物件を購入しており、彼らがマンション市場を支えているという状況はまだまだ続きそうです。