食と街に精通する、作家の麻布競馬場さんと自称 “変態料理人”こと稲田俊輔さんが、「食目線」から見た、良い街の特徴を語り合います。
――麻布競馬場さん(以下、アザケイ)は過去に麻布十番にお住まいだったそうですね。
アザケイ:新卒の頃から8年間、麻布十番のマンションに住んでいました。当時、よく遊んでいたのは麻布十番と六本木ですが、麻布台まで足を運ぶこともありましたね。この界隈って、エリアごとに街の色が少しずつ違っていて、グラデーションがあるんです。
まず、六本木は完全に飲食と商業の街。そこから麻布十番の方へ向かうにつれて少しずつマンションが増えてきて、麻布台や元麻布まで行くとほとんど住宅ばかりになる。六本木で飲んだあと、そのグラデーションを感じながら歩いて帰るのが好きでした。
▲麻布競馬場(あざぶけいばじょう)覆面小説家。1991年生まれ。大学卒業後から8年間、麻布十番で暮らし、その後港区界隈に在住。街やマンションが好きで本企画も「マンションの1階にいい店がある街は良い街だ」の麻布競馬場さんの名言から生まれた。デビュー作は、『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)。X:麻布競馬場
――なかでも、特に好きなエリアはどこでしたか?
アザケイ:最も肌に合ったのは、マンションとお店が混在しているエリアです。ちょうど、このお店(レストラン パトゥ)がある麻布台のあたりもそうですね。六本木のようにお店が集中しているエリアは万人に対してオープンで、それゆえ一般ウケする料理やサービスを提供するお店が多くなる傾向があります。大勢での食事などの場合にはありがたいですが、個人的に、たとえば友人を連れてささやかな食事会をするとか、一人でのんびり食事をしに行くとかの場合には、そうしたお店にはあまり惹かれなくて。
そこからマンションとお店が混在するエリアに入っていくと、少しずつ個性豊かな、クセのあるレストランやバーが増えてくる。完全に住宅街のなかにあるレストランだと少し行き過ぎというか、会員制のようなクローズドなコミュニティ感が出てきてしまう。そうなると、よそ者はちょっと肩身が狭いんですよね。
――だから、その中間にある麻布台あたりがちょうどいいと。
アザケイ:はい。外苑東通り沿いの外縁部にはお店がポツポツと点在していますが、そこから少し入ればもうそこは閑静な住宅街。繁華街ほど大衆的でもなく、それでいて閉じすぎてもいない。お店側の意識として、色々なお客さんを受け入れる姿勢はありつつも、どこかで「自分の城」という思いを抱いているような気がします。だから、料理もサービスも媚びていないというか、オーナーやシェフ自身がやりたいことをやっているように感じるんですよね。
特に、マンションの1階や2階にあるようなレストランやバーには、名店が多い印象があります。この「パトゥ」さんもそうですし、僕がいま通っている近所のワインバーもフランス料理店も、マンションの1階です。不思議な偶然ですけど、なぜか肌に合うんですよ。
稲田:僕もじつは、昨日このあたりを散歩してみたんですけど、アザケイさんがおっしゃる通り「やりたいことがハッキリしているお店」が多い印象を受けました。奇を衒って差別化をしようとか、耳目を集めようっていうふうではなくて、あくまで「やりたいからやるんだ」という店主の意志を感じるんですよね。
アザケイ:そういうお店には凛とした佇まいがあり、強いプライドを感じますよね。「うちはこういうスタイルの店ですけど、来たい人は来てください」みたいな。六本木という日本有数の繁華街にこれだけ近くて、その空気感を保てているのはすごいと思います。それでも商売が成り立つのは、近所の常連さんをがっちり掴んでいる証でしょうね。
▲稲田俊輔(いなだしゅんすけ)作家。料理人。飲食店プロデューサー。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理専門店「エリックサウス」を始め様々なジャンルの飲食店の業態開発やメニュー開発を手がける。X:イナダシュンスケ
コテコテの「旧」と、ひねくれた「新」が入り混じる街が好き
――稲田さんはお仕事で東京に来る機会も多いと思いますが、特に好きな街はありますか?
稲田:たくさんありますが、まずはやはり銀座が浮かびます。僕は九州で生まれ育ったのですが、子どもの頃は東京なんてフィクションというか、本当に存在しているかどうか分からない世界だったんです。僕は池波正太郎の食エッセイを読むような小学生だったので、そこにやたらと出てくる銀座ってどんなところなんだろうと、想像を膨らませていました。池波に限らず、昭和の文豪が語る東京の食って、多くが銀座のお店だったんですよね。
アザケイ:当時の銀座は、まさに東京の中心でしたからね。
稲田:だから僕のなかで「銀座」というふた文字が、ものすごく肥大化してしまって。「半分くらい東京の人」みたいな感覚で銀座を歩けるようになったのは、本当にここ数年ですね。池波正太郎のエッセイに出てきたお店に気後れせずに入れた時は、ある種の達成感というか、夢に見た世界へ行けたような感覚がありました。
――銀座以外ではどうですか?
稲田:東京の魅力って、新旧を行ったり来たりできることだと思っていて。たとえば巣鴨って「お年寄りの街」みたいなパブリックイメージがあって、いかにもオールドという感じですけど、意外とそうでもないんですよ。新しいお店も結構多い。それも、少しひねくれた新しさなんですよね。それが面白くて。
アザケイ:確かに。大塚方面に向かうほど「変な店」が出てくる印象です。
稲田:そうなんですよ。コテコテにオールドスタイルの飲食店もあれば、化学調味料は使わない、料理は中華だけどお酒はヴァン・ナチュールを提供する…といったこだわりの「無化調ワンオペ中華」的な「ひねくれニュー」もある。巣鴨や大塚のあの雰囲気が最近はツボにハマってます。
あと、大塚にはちょっとしたインターナショナルタウンという側面もありますよね。商業的につくられたものではなく、そこで生活しているネパールやベトナムの人たちによって自然と根ざしていったエスニックタウンという感じがあって魅力的です。それも閉鎖的ではなくて、僕みたいにひねくれたマニア系の日本人が遠慮しながら混ざれる雰囲気がある。
アザケイ:確かに大塚のあたりって色々な人が住んでいて、誰か特定の人だけのための街ではない雰囲気がありますよね。新旧の住人が混在しているし、単身者もいれば家族連れもいて、外国人の方も多い。僕は街だけでなく、お店もそういうオープンな姿勢があるほうが好きです。常連客に愛されながらも、新規のお客さんも快く受け入れる。そんなお店のほうが心地よく感じますね。
麻布台ヒルズの誕生で「街の重心」が移動する?
――新旧といえば、この秋からここ麻布台も新しく生まれ変わります。都心最大級規模の再開発となる「麻布台ヒルズ」が2023年11月に開業することで、街は今後どう変化していくでしょうか?
▲2023年11月24日に開業する「麻布台ヒルズ」。ファッション、フード、ビューティー、アート、ウェルネスなど約150店舗が入るほか、地下には巨大なフードマーケットも誕生(画像提供:森ビル)
アザケイ:どんな変化が起きるか予想もつきませんが、楽しみではありますよね。こういう新しい何かができると、「街の重心」が移動するんですよ。特に六本木や麻布界隈は、これまでにも重心がどんどん移り変わってきました。戦後、現在の東京ミッドタウン近辺にアメリカ軍が駐留していた頃は、六本木交差点よりも飯倉片町交差点寄りのエリアに「レオス」「ザ・ハンバーガー・イン」などのイケてるお店ができて、そこが重心だったそうです。その後、日比谷線・六本木駅の開通や六本木ヒルズ、東京ミッドタウンの開業などで今度は街の重心が六本木交差点側へと一気に移り変わって……。
――そうやって重心が移動するたびに、街のイメージも大きく変わっていますよね。
アザケイ:そうですね。かつての六本木は、どちらかというと個人のプレーヤーが「センス」を武器にして重心をつくってきたように思います。たとえば、1960年にイタリアンレストランの「キャンティ」が開業し、そこにセンスのある人たちが集まることで、街のイメージやカルチャーをつくってきました。でも、最近の六本木界隈では個人というより、企業や行政などの巨大なプレーヤーの影響が大きいように感じる。東京ミッドタウンもそうでしたし、今回の麻布台ヒルズもそう。それはそれで、どう変化するのか楽しみですけどね。
――麻布台ヒルズができることで新たな住民も増えますし、これまでにない人の流れも生まれます。従来からその街で暮らす人にとっては、新しく人が押し寄せることで街のカラーや好きな飲食店の雰囲気が変わってしまうのではないかと、不安な気持ちもあるかもしれません。
アザケイ:僕としては、そこはあまり心配ないんじゃないかと思っていて。確かに、新しい人は増えるでしょうし、表面的には街の雰囲気が一変したように見えるかもしれません。でも、おそらく地域の方々が大切に守ってきた、根っこの部分は変わらないのではないかと。
それこそ「マンション1階レストラン」のような、ブレない軸を持ったお店は新しい人の流れに影響を受けずに、そのままのスタイルを守り続けると思うんです。僕の家の近所にも最近タワーマンションができて、行きつけのお店にも新規のお客さんが一気に増えた時期がありました。どの店もパンクしかけるくらい混雑していて、それまでの常連客が入れないくらいだった。でも、それは一時的なもので、しばらく経つと元の常連客中心に戻っていくんですよ。
それはなぜかというと、オーナーやシェフが世界観を崩さなかったから。新規のお客さんに媚びず、「ここは俺の店だから」と信念を貫き通した。結果、新規のお客さんのなかでもその世界観が好きな人だけが残っていく。元々の常連客をベースに、ちょっとだけ底上げされるような、好ましい変化が起きているんです。それはお店単体の話だけじゃなくて、街全体にも言えることだと思います。麻布台ヒルズも、そうしたポジティブな影響を与えてくれるといいですね。
麻布競馬場さんが切り取った麻布台の情景
▲対談終了後、アザケイさんにインスタントカメラをお渡しし、「好きな麻布台の風景」を自由に切り取っていただいた
こちらがその3枚。左上の1枚目は「麻布狸穴町の鼠坂にある階段」。坂や階段が好きだというアザケイさん。「坂や階段は、地形に抗う人類の、文明の象徴という感じがして好きなんです。特に麻布台近辺には古びた坂が多く、散歩が楽しいです」とのこと
右上の2枚目は「麻布台近辺をとらえた新旧の街並み」。開発が進む麻布十番方面と、古い街並みが残る新旧のコントラストを切り取った。「この界隈って常に開発が行われ、ずっと更新され続けています。その一方で、昔のまま残されているエアポケットのような空間に安らぎを覚えますね」
右下の3枚目は「狸穴公園」。「ここは坂の途中にある公園で、ここだけ地形が平らになり、公園を抜けるとまた下り坂になる。まさに“ひと休み感”があって好きな場所です。また、周囲は高層ビルに囲まれていて、こうした緩急のある景観も、港区ならではだと感じますね」
麻布競馬場がおすすめ「麻布台に来たら必ず味わいたいこと」5選
(1)レストラン キャンティ
アザケイ:このエリアの原点を知るという意味でも、一度は「レストラン キャンティ」に行ってみてほしいです。ランチでも「スパゲッティバジリコ」という名物パスタが味わえますし、できればディナーにも訪れてほしい。敷居が高いイメージがあるかもしれませんが、実際はフレンドリーな雰囲気ですし、ドレスコードやマナーさえ守れば心地よく過ごせます。訪れる前に野地秩嘉さんの『キャンティ物語』を読んでおくと、より楽しめると思いますよ。
(2)文化人の足跡をたどる
アザケイ:六本木・麻布台周辺は、伊丹十三さんや野坂昭如さんなど、多くの作家や映画監督、文化人が暮らした街でもあります。野坂さんの『東京十二契』という、葛飾北斎ばりに引っ越しを繰り返した彼が過ごした東京の街について書いたエッセイ集があるんですけど、麻布狸穴町の鼠坂近辺に住んでいた頃のお話も出てきます。あれを読んだあとに界隈を散歩すると、1960年代から70年代の臨場感を味わえるんです。そんな、当時の六本木・麻布界隈のライフスタイルに思いを馳せてみるのも楽しいんじゃないかと思います。
(3)バブル期の六本木の名残を味わう
アザケイ:本つながりでいえば、林真理子さんの『アッコちゃんの時代』も、バブル期の六本木の空気感を知れる貴重な文献です。六本木ヒルズや東京ミッドタウンが登場する前の、なんとも言えないパワフルな街の雰囲気が伝わってきます。読んだ後に飯倉片町交差点から六本木交差点へ、そこから西麻布や青山へと散歩したりすると、また街の空気が違って感じられると思いますよ。
(4)日進ワールドデリカテッセン
アザケイ:東麻布寄りですが、「日進ワールドデリカテッセン」にもぜひ立ち寄ってほしいですね。麻布台から古川のほうへ坂を降りて行った先にあるスーパーで、世界中の食品が売られています。3階にはお肉コーナーがあって、Tボーンステーキやラムラックなど、日本のスーパーではあまりお目にかかれない巨大な肉も購入できるんです。ちなみに、稲田さんが手がける「エリックサウス」の冷凍カレーも置いています。ここでエリックサウスのチキンカレーを買い、生ハムも切りたてのものを買って、それに合うワインを2階で選ぶのがおすすめです。
(5) メゾン ランドゥメンヌ
アザケイ:「メゾン ランドゥメンヌ」は僕が大好きなパン屋さん。高級なバターを使ったクロワッサンが人気ですが、個人的にはバゲットもおすすめです。バゲットは何種類かありますが、特に食べてほしいのは自家製天然酵母のバゲットトラディション。僕はいつも2本買って、1本はカナッペなどに使えるように薄くカットし、もう1本は厚めにカットして冷凍しておくんです。これにより、いつでも自宅でバケットが楽しめる体制をキープしています(笑)。
取材・文:榎並紀行 撮影:三村健二
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編集者・ライター。編集プロダクション「やじろべえ」代表。住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手がけている。X:@noriyukienami