白金エリア再開発の
フロントランナーとして
強い想いで臨みました。
再開発のきっかけ、
そして当時の状況について
- 蓑輪様:
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当時の土地の価格高騰で、借りていた土地の地代が一気に3倍になって、それはもう困りましたね。
このエリアは町工場がたくさんあって、私も工場を経営していたんですが、お得意さんもいるし従業員の生活もある、そう考えるとやはり生まれ育ったこの街で商売を続けたいという想いが強かった。
デベロッパーさん主導ではなく、今ある住宅や商店・工場、それぞれの暮らしが共存する自分たちの街を作りたいんだという想いをとにかく伝えて、なんとか動き始めたね。
- 間明田様:
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借地人の人たちは蓑輪さんを中心にまとまってきたので、私は主に土地の所有者さん達をまとめようといろんな地主さんたちに話をしにいきました。
町会の中でも、自分たちの思うような街を作っていくにはどうしたらいいのか?という話になり、勉強会をスタートしたんです。
長谷工が参加したのは
いつからですか?
- 山﨑:
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長谷工が一部の土地を所有していたこともあり、かなり初期の頃、勉強会をスタートしたわずか1年後には参加させていただき、ほどなく事業協力者となりました。
行政も我々もまだ再開発の知見があまりない時代だったから手探りでしたね。一方で経済環境がどんどん厳しくなりバブル崩壊で事業継続も断念かと思うことが何度かありました。
でも皆さんが、とにかく街の未来を一番に考えて一緒にやっていこう、というスタンスだったので、その想いを形にしたいと強く思っていました。