インタビュー

東京都港区白金 白金一丁目再開発事業

長谷工コーポレーションの
再開発事業の原点
白金一丁目の軌跡

権利者様

  • 白金一丁目東地区
    元理事長 
    間明田様

    間明田様お写真
  • 白金一丁目東地区
    元副理事長 
    蓑輪様

    蓑輪様お写真
  • 白金一丁目東部北地区
    理事長 
    押見様

    押見様お写真

長谷工コーポレーション

  • 建替・再開発事業部
    長田

    長田写真
  • 建替・再開発事業部
    山﨑

    山﨑写真

自分たちが「この先もずっと住み続けたい」と思う街にしよう。
それが始まりでした。

1980年代後半、日本中がバブル景気に湧く中、この街でも土地の価格が高騰し、古くから操業していた町工場や住民が土地を手放し出ていってしまい、空き地が目立つようになっていました。このままでは生まれ育ったこの街に、勝手にいろんな建物がたちバラバラになってしまう...。

「生まれ育った街が変わっていくなら、自分たちが住みやすい街にしよう!」白金一丁目の街づくりは、街を愛する住民の皆さんのそんな強い想いから始まりました。

権利者様と長谷工コーポレーション担当者のお写真

概要

麻布・高輪・広尾といった都心の住宅地に囲まれた白金一丁目エリアは、大正時代から京浜工業地帯を支える町として繁栄してきた町工場と住宅とが混在する密集市街地。居住環境の整備と共に、町工場や商店の再生を図り、安心で魅力ある街を目指した30年以上にわたる再開発事業です。

白金エリア再開発の
フロントランナーとして
強い想いで臨みました。

再開発のきっかけ、
そして当時の状況について

蓑輪様:

当時の土地の価格高騰で、借りていた土地の地代が一気に3倍になって、それはもう困りましたね。

このエリアは町工場がたくさんあって、私も工場を経営していたんですが、お得意さんもいるし従業員の生活もある、そう考えるとやはり生まれ育ったこの街で商売を続けたいという想いが強かった。

デベロッパーさん主導ではなく、今ある住宅や商店・工場、それぞれの暮らしが共存する自分たちの街を作りたいんだという想いをとにかく伝えて、なんとか動き始めたね。

間明田様:

借地人の人たちは蓑輪さんを中心にまとまってきたので、私は主に土地の所有者さん達をまとめようといろんな地主さんたちに話をしにいきました。

町会の中でも、自分たちの思うような街を作っていくにはどうしたらいいのか?という話になり、勉強会をスタートしたんです。

長谷工が参加したのは
いつからですか?

山﨑:

長谷工が一部の土地を所有していたこともあり、かなり初期の頃、勉強会をスタートしたわずか1年後には参加させていただき、ほどなく事業協力者となりました。

行政も我々もまだ再開発の知見があまりない時代だったから手探りでしたね。一方で経済環境がどんどん厳しくなりバブル崩壊で事業継続も断念かと思うことが何度かありました。

でも皆さんが、とにかく街の未来を一番に考えて一緒にやっていこう、というスタンスだったので、その想いを形にしたいと強く思っていました。

インタビュー風景写真
インタビュー風景写真
  • 桜田通り沿いの街並み写真
    桜田通り沿いの街並み
  • 細い路地や木造家屋も多い密集地写真
    細い路地や木造家屋も多い密集地
  • 工場と住宅を兼ねた建物も多かった写真
    工場と住宅を兼ねた建物も多かった

決して諦めないことが大切。

都市計画が決まるまでかなりご苦労があったそうですが

間明田様:

せっかくまとまりつつあったのに、町会長を始め工場の経営者である街の重鎮達がごっそり抜けてしまった事があってね。

ある時、講師に招いた工場経営のコンサルタントが話した今後の工場経営のあり方が、もちろん正論ではあるんだけど気持ち的に受け入れられずに大反発されてしまって、これはかなりまずい事になったぞと。

再開発を行っても自分たちの工場を残して所有できるんだという、工場主が納得する計画でないと戻ってくれそうもなかったのでね。

蓑輪様:

あの期間は本当に大変でしたね。とにかく根気よく説得を続けてようやく戻ってきてくれたけど、1年半くらいかかったんじゃないかな。

山﨑:

長谷工としては、そのいくつもの工場を再開発の中にどう組み込むかが計画の大きな難関でした。

何度も検討を重ねている中で、幸いにも工場をこのゾーンに集約したらと...街の中に工場街区を作るというアイデアを思い立ち、行政に説明したところ、うまくいけそうだということになり、計画案を大きく見直すことになりました。

工場主の方々の「この街で工場を続ける」という想いと「なんとか工場を残したい」という我々の想いが形として現れ、脱会した方々が戻ってきた時は、ようやく前に進むと思い、ほっとしました。そこから一気に事業が加速していったと思います。

お住まいでもある超高層マンション「白金タワー」の計画はどうでしたか?

間明田様:

超高層マンションは都心で数えられるほどしかなかった時代だったので、近隣住民の方からの反対がものすごかったですね。説明会なんて入りきれないくらい傍聴の方々がいらしてね。

蓑輪様:

街には超高層の建物なんてなかったからね。間明田さんと私は矢面に立つ立場だったから、長谷工さん達とリハーサルもやりましたね。説明会なんてもう何十回やったか分からないですね(笑)。

間明田様:

自分たちで街を作るんだと説得してきたんだから、とにかく責任は果たさないといけないなと思っていました。白金タワーが姿を見せるようになって反対していた人も街づくりに対する意識が変わってきたね。

インタビュー風景写真
インタビュー風景写真
インタビュー風景写真
  • 空から見た「白金アエルシティ」写真
  • 白金アエルシティ写真
空から見た「白金アエルシティ」。住宅タワー棟42階、テラス棟8階、テラス棟(店舗)2階、オフィス棟26階、工場街区で構成。

白金アエルシティでの
学びをベースに取り組んだ
東部北地区(白金ザ・スカイ)のカタチ

東部北地区の再開発は白金アエルシティ竣工(2005年)の少し前に始まったんですね。

押見様:

当時、東部北地区は水害の問題を抱えていたんです。近くを流れる古川がたびたび氾濫を起こしていて、護岸も老朽化していたので浸水が多く、車が水没してしまったりと、暮らしへの危機感がありましたね。

山﨑:

東部北地区は白金アエルシティの再開発の際にかなり反対されていた方がおられたこともあり、ご相談いただいた時は正直驚きました。

押見様:

白金アエルシティの再開発にも参加して間近で見ていて、とにかく本当に大変なことは分かっていましたが、子どもたちと一緒に長く住み続けるための街にするには、計画的に進める必要があるということも理解できていました。

幸い、長谷工さんをはじめ、白金アエルシティの再開発に協力してくれた関係各社が対応してくれたこともあり、すごく恩恵を受けたスタートでした(笑)。

東部北地区での難しい局面もあったとお伺いしましたが

押見様:

町工場の課題などは白金アエルシティと同じですが、こちらはエリアの問題がありました。

当初、東部北地区と東部中地区を一緒に進めようとしていたんですが、中地区は少し高台になっていて北地区ほど水害の被害がなく危機感に温度差がありました。比較的新しく移り住んできた人たちが多かったこともあり、意見をまとめるのに時間を要する状況だったので、早く意見がまとまった東部北地区を先行することにしました。街がバラバラになることを避けたかったので引き続き長谷工さんに中地区の検討も行ってもらっています。

蓑輪様:

東部北地区の再開発にも監事として携わったんですけれど、押見さんの聞くことは全て聞き、最後はちゃんとまとめるという公正な理事会運営はすごいですよ。軸のある人がいるとスムーズに進みますね。

長谷工から見た苦労はありましたか?

長田:

事業が進んでいく中での権利変換時の同意取得が特に大変でした。

権利者約280人とさらに借家人の方が約250人。権利者の方はもちろんのこと、賃借人の方々への説明も必要で、事務局の人数を増やしてマンションごとに担当を分けて、お会いすることすら難しい中で、お一人ずつ説明をして...。心が折れそうになる部下たちを叱咤激励する日々を過ごして、1年半ほどかけてようやく権利変換計画認可を得ることができました。

蓑輪様:

長谷工さんはとにかく地道に面談してくれたよね。

長田:

もうひとつ大変だったのは事業収支。再開発は時間がかかるので、着工するまでに収支があわない状態になっていて、設計会社と何度も協議を重ね、最終的にはデベロッパーの保留床の買い取り価格もアップしてもらいなんとか収支を合わせることができましたが、これもかなり大変でした。

インタビュー風景写真
白金一丁目 東部北地区・東地区のエリア図
インタビュー風景写真
  • 白金ザ・スカイ 北西側外観写真
    白金ザ・スカイ 北西側外観
  • 白金ザ・スカイ 2階ラウンジ写真
    白金ザ・スカイ 2階ラウンジ
  • 白金ザ・スカイ 南側歩道写真
    白金ザ・スカイ 南側歩道

生まれ育った街に、
これからも安心して住むことができる幸せ。

2つの再開発を合わせた30年の歳月を振り返り、どのようなお気持ちですか?

間明田様:

長谷工さんとは30年以上の付き合いになりますが、自分たちのいう「住みたい街」をよく具体化してくれたなと思っています。街の行事にも何度も参加してもらい、よいコミュニケーションができていると思います。自分たちと長谷工さんが思うことがズレて、ちょっと違うな...となっても話し合って修正していける良い関係を築くことができたと思っています。

先日80歳になりましてね、小学校・中学校・高校・大学の同級生と近所の方々などたくさんの方にお祝いをしてもらったんですが、この街があるから集まることができる。生まれ育った街でこうやって安全・安心に暮らしている。その事が本当に幸せだなと思います。

蓑輪様:

町工場中心の街だったこのエリアが、工場を残しながら、大きな病院・神社・住まい・商店が共存する、きれいで安全で魅力的な街になったのは非常に嬉しいことです。個々にやるのではなく、まとまった街づくりができることが再開発の良さだと思います。

事業協力者として最初から参画してくれたのが、長谷工さんだったから善意の人が集まる事業となり、私どもは本当に運が良かったなと思っています。

押見様:

2つめの再開発ということもあって、間明田さん・蓑輪さんと比べると矢面に立たされるという局面が少なかったと思いますが、長谷工さんが事務局の人数を増やして合意のために奔走してくれた話等をきくと、自分たちに見えない部分で長谷工さんに助けていただいたんだなと改めて思いました。

長谷工さんにはぜひ、権利者の目線にあわせて考えてくれる今の姿勢を貫いてほしい。これからもよろしくお願いしますね。

インタビュー風景写真
インタビュー風景写真

長谷工コーポレーション担当者より

  • 建替・再開発事業部 長田写真

    この大切な経験を、いい街・いい建物をつくることに活かしていきたい。

    長谷工コーポレーションの再開発事業は白金エリアの皆さんに育てていただいたと言っても過言ではありません。社員20人くらいが同好会を作って神輿を担いだりしましたが、お祭りの時には町工場で作ってもらった鉄板で焼きそばを焼いたり、そういう住民の方々との大切なコミュニケーション、共に考え課題を解決していくこと、様々なことを学ばせて頂きました。長谷工の再開発の軸にもなっています。今は社内に再開発に携わった者が増えてきたので、この経験を今後の様々なプロジェクトに活かし、いい街・いい建物をつくっていきたいと考えています。

    長谷工コーポレーション 
    建替・再開発事業部 長田 昇

  • 建替・再開発事業部 山﨑写真

    白金一丁目の街づくりは権利者の皆さんの思いと努力の結集です。

    同じ再開発はひとつとしてなく、常にその街にあったアイデアを模索する必要があります。当時は知識も経験もなかったのですが、前例や常識に縛られることもなかったことが逆によかったかもしれません。事業なので当然利益を出す必要はあるんですが、権利者さんの想いを大切にして協力しながら進めていく、それが結果的に街の未来と関わった方の幸せや利益につながる、そんな再開発事業にこれからもしていきたいと思います。

    長谷工コーポレーション 
    建替・再開発事業部 山﨑 豊